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七尾城跡

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

七尾城跡

能登国の守護であった畠山氏が16世紀初めごろに築いたとされる。1577年に畠山氏は上杉謙信によって滅ぼされ、81年には前田利家が入城。翌82年に御祓川河口近くの小丸山に新たに城が築かれるまで、能登支配の拠点だった。市街地から南東約5キロの城山(標高約300メートル)にあり、城域の範囲は南北約2・5キロ、東西約0・8キロ、総面積約200ヘクタールとされる。

(2012-07-05 朝日新聞 朝刊 石川全県 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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国指定史跡ガイドの解説

ななおじょうあと【七尾城跡】


石川県七尾市古城町にある山城跡。七尾湾を望む石動(せきどう)山脈北端の、標高300mほどの尾根上に立地する。尾根から枝分かれする大小の尾根にも無数の砦(とりで)を配した大規模な山城で、長屋敷・本丸・二の丸・三の丸・調度丸・遊佐(ゆさ)屋敷・桜馬場が連なっている。能登畠山氏の初代当主で能登国守護の畠山満慶(みつのり)が、正長年間(1428~29年)に築いたというが、当時の七尾城は砦程度の規模で、以後次第に拡張され、約150年間にわたって領国支配の本拠となり、5代当主である畠山慶致(よしむね)のころには守護所も七尾城へと移った。1545年(天文14)に家督を継いだ8代当主義続(よしつぐ)のころには家臣団による権力争いが頻発したが、9代義綱のころまでに城は増築され、最大の縄張りとなったといわれる。1544年(天文13)の記録によれば、城山山麓に「千門万戸」が1里余りも連なり、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」と称されたと記されるほどだった。しかし、上洛をめざす越後の上杉謙信が、1576年(天正4)に能登に侵攻し、包囲された七尾城は1年にわたって持ちこたえたが、重臣の分裂もあって落城した。越中国と能登国をつなぐ要所にある七尾城は、のちに織田信長配下の城代として前田利家が入るが、すでに山城の時代ではなく、利家は拠点を小丸山(こまるやま)城に移したため、1589年(天正17)に廃城となった。低い石垣を5段に積み重ねた本丸の石垣をはじめ、各曲輪の石垣のほとんどが現存し、山城の歴史上重要な遺跡として、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。麓には七尾城史資料館がある。JR七尾線七尾駅から市内巡回バス「古屋敷町」下車、本丸まで徒歩約1時間。

出典|講談社
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