益須寺(読み)やすでら

日本歴史地名大系 「益須寺」の解説

益須寺
やすでら

野洲やす郡内に所在した古代寺院。「日本書紀」持統天皇八年(六九四)三月一六日条に寺名がみえる。同条および同七年一一月一四日条によれば、益須郡(野洲郡)都賀つが山で醴泉が発見されたため朝廷は三人の官僧を派遣して試飲させ、これを祥瑞とし、「水田四町・布六十端」を入れ、同郡のこの年の調役・雑徭を免除するなどしているが、醴泉で治療する疾病人が宿泊した場所として寺名が登場、郡名を冠していることから郡司近江国司との関係が深かったと推定され、その創建や維持には大化前代以来の有力豪族、近淡海安国造安直氏がかかわったと考えられる。

明確な寺院遺構は確認されていないが、現在では滋賀県守山市吉身よしみ南東部一帯を寺地に比定する説が有力である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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