日本歴史地名大系 「物部郷」の解説
物部郷
もののべごう
物部郷
もののべごう
物部郷
もののべごう
物部郷
もののべごう
物部郷
ものべごう
物部郷
ものべごう
物部郷
もののべごう
「和名抄」所載の郷。駿河国益頭郡・近江国栗太郡などの同名郷の訓注「毛乃々倍」に従う。美濃国は物部の分布が目立つ国である。古くは「国造本紀」にみえる三野後国造が、「志賀高穴穂朝御代、以物部連祖出雲大臣命孫・臣賀夫良命、定賜国造」と物部系を主張している。また「本簀郡栗栖太里」「肩県郡肩々里」「加毛郡半布里」の大宝二年(七〇二)戸籍(正倉院文書)にも、かなりの数の物部氏がみえている。さらに平城宮跡出土木簡には「(表)美濃国厚見郡草田郷」「(裏)物部□□米六斗」とみえ、また天平勝宝二年(七五〇)四月二二日の美濃国司解(東南院文書)にも物部氏の名があり、
物部郷
もののべごう
「和名抄」高山寺本は「毛乃々倍」、東急本は「毛乃倍」と訓ずる。いずれが妥当か決しがたいが、モノヘはモノノヘのつづまったものだから、本来は物部氏をモノノベ氏と読むようにモノノヘであったのではないか。物部氏に率いられた大和王権下の軍事部民物部氏が居住したところからついた郷名であろう。「近江国正六位上物部布津神」の神名がみられるが(「三代実録」元慶六年一〇月九日条)、「布津神」とあることからもわかるように大和国の物部氏と関係することは明白だし、また物部氏の当郷での居住も確認されるから(永治二年五月一七日栗東町金胎寺増長天像銘、永治二年五月同寺阿弥陀如来像銘など)、右の推定でよいと思われる。
物部郷
もののべごう
物部郷
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物部郷
ものべごう
物部郷
ものべごう
物部郷
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物部郷
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物部郷
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物部郷
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出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報