目達原古墳群(読み)めたばるこふんぐん

日本歴史地名大系 「目達原古墳群」の解説

目達原古墳群
めたばるこふんぐん

[現在地名]上峰村大字坊所、神埼郡三田川町大字立野

上峰村西部の洪積層高位段丘上および神埼郡三田川町の目達原南方の中位段丘上にあった前方後円墳七基・円墳四基以上よりなる古墳群で、五世紀より六世紀にかけて築造されたと思われる。

これらの古墳群は「竺志米多国造」(国造本紀)の墓ではないかと、大正二年(一九一三)頃から調査され始め、昭和一七年(一九四二)から翌年にかけて発掘調査が行われた。同一八年にかみのびゅうづか古墳が都紀女加王つきめかおう墓と治定され、他の古墳は、目達原飛行場建設工事のため上のびゅう塚古墳の北側に墳丘模型をつくり改葬された(「目達原古墳群調査報告」昭和二五年三月・佐賀県教育委員会刊)

都紀女加王墓以外のおもな古墳は次のとおりである。

大塚おおつか古墳は上のびゅう塚古墳の西方二五〇メートルの溜池対岸、目達原丘陵の東辺(上峰村)にあった前方後円墳。前方部は西南西向きで、全長五五メートル、後円部径三八メートル、高さ七メートル、前方部幅三六メートル、高さ四メートル、円筒埴輪葺石がそれぞれ三列あり、水鳥など形象埴輪出土

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の目達原古墳群の言及

【三田川[町]】より

…佐賀県南東部,神埼郡の町。1965年町制。人口9578(1995)。町域は南北に細長く,北部は脊振山麓南端にあたる丘陵地,南部はクリーク地帯である。弥生時代の住居跡や貝塚,古墳や条里制の遺構などがあり,ことに吉野ヶ里遺跡では,日本一の規模をもつ環濠集落をはじめ,墳丘墓,物見やぐらなどが発見され,歴史公園として保存されている。工業を主産業とし,被服,電気器具,建設材料などの工場があり,工業団地の造成も進む。…

※「目達原古墳群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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