目黒和三郎(読み)メグロ ワサブロウ

20世紀日本人名事典 「目黒和三郎」の解説

目黒 和三郎
メグロ ワサブロウ

明治・大正期の神官 竜田神社宮司



生年
慶応1年6月14日(1865年)

没年
大正12(1923)年10月23日

出生地
相模国中郡大山町(神奈川県)

学歴〔年〕
専修学校(現・専修大学)卒

経歴
明治12年から権田直助師事して国典を修める。皇典講究所、専修学校経済科を卒業して、22年富山県尋常中学校助教諭となり、23年創設と同時に国学院講師に転じるが、郷里の神奈川県大山に帰り町長を務める。36年国学院主事兼皇典講究所幹事となる。この頃から出版に関わり、国書の刊行を行う。41年東京市府社金刀比羅宮社司、大正3年郷里・大山の阿夫利神社、8年奈良の竜田神社、10年大神神社の宮司を務めた。著書に「神社参拝の真義」「大日本国民訓」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「目黒和三郎」の解説

目黒和三郎 めぐろ-わさぶろう

1865-1923 明治-大正時代神職
慶応元年6月14日生まれ。権田直助(ごんだ-なおすけ)に師事。明治36年国学院主事兼皇典講究所幹事となる。のち郷里神奈川県大山の阿夫利(あふり)神社,奈良の竜田(たつた)神社,大神(おおみわ)神社の宮司をつとめた。大正12年10月23日死去。59歳。専修学校(現専修大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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