相月村(読み)あいづきむら

日本歴史地名大系 「相月村」の解説

相月村
あいづきむら

[現在地名]佐久間町相月

大井おおい村の北にあり、東に大洞おおぼら(九二九・九メートル)井戸口いどぐち(一三三四・八メートル)がそびえる。南流するおくやま(現水窪川)の中・下流域にあり、相月本村・向皆戸むかいがいと中芋堀なかいもほりの一部は谷底平地、中芋堀・しまは河岸段丘上に位置するが、他の大部分山腹斜面に散在している。周知すち郡に属する。永享七年(一四三五)一〇月一七日の諏訪神社蔵棟札に「遠江国周知郡奥山(綾)着村」とあり、他の棟札類では綾着・綾月・綾付とも記される。天正九年(一五八一)五月九日には徳川家康から「あひ月之郷」が奥山惣十郎に安堵された(「徳川家康判物写」萩原文書)正保郷帳では永五七貫四三三文、幕府領。うち大明神・八幡領九〇〇文、観音領七〇〇文、東林とうりん(現曹洞宗)領三〇〇文、柴山・雑木山の注記がある。


相月村
あいつきむら

[現在地名]作手村白鳥しろとり

川合かわいの東に山稜を隔てて相月川の上流にあたる。慶長七年(一六〇二)より作手藩領、同一五年より幕府領、天和元年(一六八一)より鳥羽藩領、享保一一年(一七二六)より幕府領、享和二年(一八〇二)より平藩安藤対馬守領、文久二年(一八六二)より幕府領に復し幕末に至る。村の領域は二つに分れ、南部を表相月、北方寺林てらばやし村の北部を裏相月と称していた。慶応元年(一八六五)の助郷免除願書(三州長者平村所収文書)では高七四石余、戸口一一軒・四七人、馬三匹である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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