真木 康年
マキ コウネン
昭和期の右翼活動家
- 生年
- 大正2(1913)年
- 没年
- 昭和24(1949)年
- 経歴
- 東京・浅草のヤクザで、昭和21年6月、戦後の混乱期に新鋭大衆党を創設、党首となる。実体は党員150人の暴力団で、22年1月2.1ストの直前、青年部員2人が聴濤克巳産別議長を刺し、戦後最初の右翼暴力事件となった。さらに自由党院外団の自由クラブの幹部となり、同年4月の総選挙に東京1区から立候補、落選。同年12月党は解散を命じられ追放された。同24日恐喝で、続いて23年1月銃砲所持禁止違反で起訴され、同年10月東京高裁から懲役3年の判決。服役中死去。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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真木康年 まき-こうねん
1913-1949 昭和時代の右翼運動家。
大正2年生まれ。もと東京浅草のヤクザ。昭和21年新鋭大衆党をつくり党首となる。22年同党の青年部員が産別会議議長の聴濤克巳(きくなみ-かつみ)を刺傷するなどの右翼暴力事件をおこし,党は解散を命じられた。23年銃砲所持で実刑判決をうけ,服役中の24年死去。37歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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