ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真田信繁」の意味・わかりやすい解説
真田信繁
さなだのぶしげ
[没]元和1 (1615).5.7. 大坂,茶臼山
安土桃山時代の武将。信濃上田城主真田昌幸の二男,左衛門佐信繁と称する。真田幸村としても知られる。父とともに豊臣秀吉に仕え,天正18(1590)年小田原陣(→小田原征伐)に参加。慶長5(1600)年関ヶ原の戦いには兄信之と分かれ,父とともに西軍に応じ,居城上田城によって,東山道を西上して関ヶ原の戦いに参加しようとする徳川秀忠の大軍をわずかの手兵で阻止し,武威をあげた。合戦後,父とともに紀州九度山(→九度山町)に幽居したが,同 19年豊臣秀頼に召されて大坂城(→大阪城)に入り,冬の陣に活躍して徳川方を悩ませた。同 20年,夏の陣では河内道明寺一帯で伊達政宗軍を破り奮戦したが,大坂落城の前日茶臼山で戦死。法名は大光院殿月山伝心大居士。(→大坂の陣)
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