真経寺(読み)しんきようじ

日本歴史地名大系 「真経寺」の解説

真経寺
しんきようじ

[現在地名]向日市鶏冠井町 御屋敷・大極殿

北と南の両真経寺があり、北真経寺は鶏冠井かいで集落のほぼ中央に、南真経寺は集落の西端近くにある。ともに鶏冠山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。もと一寺であったが承応三年(一六五四)分立した。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔日像の布教拠点〕

初めて洛中に日蓮宗を布教した日像は、初め諸宗の迫害を受け、両三度配流・追放された。真経寺は当時真言宗の寺で真言しんごん寺といったが、住持実賢が日像の教化によって改宗、寺名も改め、関西における日蓮宗弘通最初の寺となった。その年次は延慶三年(一三一〇)説もあるが、寺伝は日像の土佐配流の年徳治二年(一三〇七)とする。徳治の配流も、実際には配所に赴かず、乙訓おとくに山崎やまさき(現京都府大山崎町)付近にとどまって布教していたことは日像書状によって確認されるが、真経寺の徳治二年改宗説はいわれのないものではなく、右の事実を伝えるものといえよう。実賢は延文元年(一三五六)二月没。「本化別頭仏祖統記」所載の「洛西鶏冠山真経寺実賢上人伝」は「初真言宗僧、領鶏冠井真言寺也、延慶三年庚戌之春、吾像(日像)尊者弘宗之時、同極楽寺良桂衣供寺、欽奉誠、尊者更真経寺、緇白悉相帰、一村絶謗法之音、於後為南北両真経寺(中略)又承応中、通明院日祥、更北真経寺以為談林(中略)師之遺徳向日明神擁護著者也矣」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の真経寺の言及

【向日[市]】より

…向日神社の社前,西国街道に面する向日町は,江戸時代には商人や手工業者の集住した在郷町であった。鶏冠井町には,鎌倉末期に日像によって関西初の日蓮宗寺院として開かれたという真経寺(南北2寺がある),本化日蓮宗本山石塔寺がある。なお向日神社は式内社で,中世には周辺郷村の産土神(うぶすながみ)として厚く崇敬された。…

※「真経寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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