真野宮
まのぐう
[現在地名]真野町真野
経塚山から流れ出る真野川の谷が下流で開ける地点にある。明治維新までは国分寺の末寺で真言宗真野山真輪寺とよばれ、一二坊の末寺をもっていた。順徳院の行在所と伝える堂所阿弥陀堂を奥院とし、古来山陵別当として順徳帝の御陵に奉仕し、池蔵人奉刻と伝える順徳帝の木像を安置してきた。明治維新で廃寺となり、明治二年(一八六九)寺を神社として僧は神官(真木山氏)となった。順徳上皇を祀り、菅公・日野資朝卿を合祀。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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