デジタル大辞泉
「真鍋博」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
真鍋 博
マナベ ヒロシ
昭和・平成期のイラストレーター
- 生年
- 昭和7(1932)年7月3日
- 没年
- 平成12(2000)年10月31日
- 出生地
- 愛媛県宇摩郡別子山村
- 出身地
- 愛媛県新居浜市中萩
- 学歴〔年〕
- 多摩美術大学油絵科卒,多摩美術大学大学院美術研究科〔昭和32年〕修了
- 主な受賞名〔年〕
- 講談社さしえ賞(第1回)「第7地下壕」,サンケイ児童出版文化賞〔昭和42年〕
- 経歴
- 大学院修了後、洋画家として出発。昭和30年池田満寿夫、靉嘔らとグループ“実在者”を結成、二科会同人。のちイラストレーターに転向し、第1回講談社さしえ賞受賞。35年久里洋二、柳原良平と共にアニメーション3人の会を結成、実験アニメの上映会を開く。ニューヨーク世界博日本館の壁画、日本万博三菱未来館はじめ、沖縄海洋博、ポートアイランド博、筑波科学博などに参加。SF作家・星新一の作品の挿絵や、小田実「何でも見てやろう」、高橋和巳「悲の器」など本の装幀も手がけた。作品に画集「真鍋博Original 1975」「真鍋博Original 1985」など。エッセイストとしても知られ、著書に「ひとり旅教育法」「イラストからの発想」「真鍋博の昆虫記」「たびたびの旅」「遊々ウォーキング」「発想交差点」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
真鍋博 まなべ-ひろし
1932-2000 昭和後期-平成時代のイラストレーター。
昭和7年7月3日生まれ。昭和30年靉嘔(あいおう)らと「実在者」を,35年久里洋二,柳原良平と「アニメーション3人の会」を結成。同年「朝日ジャーナル」連載「第七地下壕」のイラストで第1回講談社さしえ賞。大阪万博や沖縄海洋博にも参加するなど,多方面で活動する。平成12年10月31日死去。68歳。愛媛県出身。多摩美大卒。作品集に「真鍋博Original 1975」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
真鍋 博 (まなべ ひろし)
生年月日:1932年7月3日
昭和時代;平成時代のイラストレーター
2000年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の真鍋博の言及
【アニメーション映画】より
…(1)藪下泰司の《白蛇伝》(1958)を最初とする〈東映動画〉による長編漫画がコンスタントに(年1回,夏休み用に)製作され,上映され始めたこと。(2)60年,久里洋二,柳原良平,真鍋博が〈三人のアニメーションの会〉を設立して,積極的な実験アニメの製作に乗り出したこと。(3)63年,漫画家の手塚治虫の虫プロが,毎週,国産テレビアニメの30分番組(《鉄腕アトム》)をスタートさせたこと。…
※「真鍋博」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 