昭和期の小説家,評論家,中国文学者
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小説家。昭和6年8月31日大阪市に生まれる。京都大学中国文学科卒業。少年期の戦争体験をもとに高校時代から埴谷雄高(はにやゆたか)や野間宏(ひろし)など第一次戦後派の小説に傾倒。大学入学後、小松左京らと同人雑誌を刊行し、習作を発表した。1962年(昭和37)1人の刑法学者の破滅を通して人間の根本的悪を描破した『悲(ひ)の器(うつわ)』が河出書房文芸賞第1回長編部門に当選、一躍注目を浴びる。続いて戦時下の精神を追究した『散華(さんげ)』(1963)、ある新興宗教の教団を中心に昭和の精神史を描かんとした『邪宗門』(1965~66)など次々と大作を刊行。評論家としても活躍した。また中国文学者としても有能で、67年には京大文学部助教授となったが、おりからの大学紛争のなかで学生側を支持、やがて心身ともに疲労して辞職した。その際の彼の苦悩は『わが解体』(1969)にみることができる。彼の文学の特色は、否定の精神に基づきながら知識人の運命と責任、その倫理を追究することにあった。結腸癌(がん)のため、昭和46年5月3日没。夫人は小説家の高橋たか子。
[紅野謙介]
『『高橋和巳全集』全20巻(1977~80・河出書房新社)』
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…第3は,原爆がもたらした悲劇を庶民の日常生活をとおして書き,文学史に残る傑作と称される井伏鱒二の《黒い雨》(1965‐66)のように,被爆者ではないが,広島,長崎と出会った良心的な文学者たちによって,さまざまな視点から広島,長崎,原水爆,核時代がもたらす諸問題と人間とのかかわりを主題とする作品が書かれた。作品に佐多稲子《樹影》(1970‐72),いいだもも《アメリカの英雄》(1965),堀田善衛《審判》(1960‐63),福永武彦《死の島》(1966‐71),井上光晴《地の群れ》(1963),《明日》,高橋和巳《憂鬱なる党派》(1965),小田実《HIROSHIMA》(1981)などがある。なかでも特筆すべきは大江健三郎(1935‐ )の存在で,1963年に広島に行き《ヒロシマ・ノート》(1964‐65)を発表して以来,〈核時代に人間らしく生きることは,核兵器と,それが文明にもたらしている,すべての狂気について,可能なかぎり確実な想像力をそなえて生きることである〉とする核時代の想像力論を唱え,《洪水はわが魂に及び》(1973),《ピンチランナー調書》(1976),《同時代ゲーム》(1979),《“雨の木(レインツリー)”を聴く女たち》(1982)などの作品を書き,国内だけでなく外国でも高く評価された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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