矢口渡(読み)やぐちのわたし

日本歴史地名大系 「矢口渡」の解説

矢口渡
やぐちのわたし

中世に多摩川の旧流路河口付近にあったとみられる渡し。「太平記」巻三三に延文三年(一三五八)一〇月、潜伏していた新田義興(新田義貞の第二子)が竹沢右京亮の奸計に乗せられて鎌倉へ向かう途中、矢口渡を船で渡った際、江戸遠江守らの謀略にかかって憤死したとあり(→新田神社、この矢口渡を当矢口渡とする説がある(多摩郡の矢野口とする説もある)。「北条記」によれば永禄一二年(一五六九)武田氏が武蔵へ侵攻した際、北条方によって六郷ろくごう橋が落されたため、武田勢は船で矢口渡を渡ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の矢口渡の言及

【神霊矢口渡】より

…5段。通称《矢口渡》。福内鬼外(平賀源内)作,吉田冠子(3世吉田文三郎)・玉泉堂・吉田二一補助。…

※「矢口渡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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