知波夜比古神社
ちはやひこじんじや
美波羅川の形成した沖積平地に南から舌状に突出した段とよばれる低い丘陵上に鎮座。「延喜式」神名帳に「三谿郡一座小 知波夜比古神社」と記す社に比定される。旧郷社。数百メートル南方には浄楽寺古墳群・七ッ塚古墳群が、約三キロ東北には寺町廃寺や三谿郡郡衙所在地とみられる地がある。
祭神は「神社明細帳」に日子穂穂出見命・豊玉毘売命とあり、「芸藩通志」には「祭神を問ふに、火々出見尊を主として、同殿に瓊々杵尊・火酢芹尊・葺不合尊・木花開耶姫・豊玉依姫、および塩土翁を祭り、又衣冠の木像四あり、千早彦は即火々出見尊なりといふ」とある。
知波夜比古神社
ちはやひこじんじや
[現在地名]三良坂町三良坂
御箱山(二九四メートル)の西南麓に鎮座。祭神は乳速日子命ほか九柱。旧郷社。「延喜式」神名帳に記す三谿郡の同名社に比定する説もあるが、同名の神社は旧三谿郡内の高杉(現三次市)にもあり、明治四年(一八七一)神祇省によって高杉の知波夜比古神社が式内社に治定された。式内社比定の問題はすでに江戸時代から論がなされており「芸藩通志」は「京都吉田家に知波夜比古の社は備後都山にありと伝るよし、都・御箱国音近ければこれ又其転ぜしなるべし」と記し、御箱山鎮座の当社と記しながらも、「高杉村にも千早彦神社といふあり、併考えるべし」と断定を避けている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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