神祇省(読み)ジンギショウ

デジタル大辞泉 「神祇省」の意味・読み・例文・類語

じんぎ‐しょう〔‐シヤウ〕【神×祇省】

明治維新政府官庁神祇官後身として太政官だじょうかんの下に属し、祭祀さいし・宣教などをつかさどった。明治5年(1872)廃止

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精選版 日本国語大辞典 「神祇省」の意味・読み・例文・類語

じんぎ‐しょう‥シャウ【神祇省】

  1. 〘 名詞 〙 明治四年(一八七一)八月八日、神祇官を改称して太政官の下に置かれた官庁。祭祀・諸社・諸陵・宣教・祝部・神戸に関する事をつかさどり、卿・大輔・少輔・大丞・少丞・大録・権大録・中録・権中録・少録・権少録・宣教長官・宣教次官・宣教判官・宣教権判官・大掌典・中掌典・少掌典・大神部・中神部・少神部の職員を置いた。同五年三月一四日廃止され、祭祀事項は式部寮に、宣教事項は新設教部省に引き継がれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神祇省」の意味・わかりやすい解説

神祇省
じんぎしょう

明治初年の祭祀(さいし)・宣教機関。明治政府は祭政一致理念のもとに神祇官を再興したが、1871年(明治4)8月8日これを格下げして太政官(だじょうかん)の下に神祇省を置いた。卿(きょう)は置かれず、大輔(たいふ)は福羽美静(ふくばびせい)。職掌は神祇官時代と変わらず祭祀・宣教のことをつかさどるとされたが、この省の設置は、神祇官の下で展開された神道(しんとう)国教化政策が内外の要因により行き詰まりをみせていることの現れであった。神祇省の下では新たな政策はほとんど行われず、72年3月わずか数か月で廃止され、維新以来の直接的な神道国教化政策はその終止符を打った。なお、祭祀関係は太政官の式部寮に、宣教関係は新設の教部省に移された。

[中島三千男]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「神祇省」の解説

神祇省
じんぎしょう

明治初年の祭祀・宣教をつかさどる政府の中央官庁。1871年(明治4)8月,神祇官を廃し太政官の一省に格下げして神祇省を設置。卿・大輔以下の職員をおき,また宣教使を所管し宣教長官らをおいた。宮中の祭祀や神道による国民教化を担当した。左院の建議により72年3月廃省となり,宮中祭祀と切り離して神道・仏教行政と国民教化を担当する教部省が設置された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「神祇省」の解説

神祇省
じんぎしょう

明治初年,神道関係の政府機関
1871年神祇官の後身として設置。大教宣布を推進したが,神道国教主義の退潮で '72年廃止された。

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世界大百科事典(旧版)内の神祇省の言及

【神祇官】より

…神祇官の管轄事項には新たに宣教にあたる宣教使のことがつけ加えられ,長官,次官,正・権判官,主典,史生を置き,判官以上を神祇官職員の兼務とし,各藩に宣教係が置かれ,神道国教化政策が展開された(初代長官は中山忠能神祇伯,次官は福羽美静神祇少副)。しかし明治政府の富国強兵(〈近代化〉)政策の展開の中で,71年には神祇省に格下げされ,さらに翌年にはこれも廃止されて祭典関係の事項は式部寮に,宣教関係の事項は新設の教部省に移され,宣教使はしだいに教導職に吸収された。なお,のち1940‐46年の戦時体制下に,神祇に関する独立の中央官庁として神祇院が一時設置された。…

※「神祇省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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