高杉村(読み)たかすぎむら

日本歴史地名大系 「高杉村」の解説

高杉村
たかすぎむら

[現在地名]弘前市高杉

岩木山の東にあり、弘前城下から鰺ヶ沢あじがさわ(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に向かう鰺ヶ沢街道に沿う。北は鬼沢おにざわ村、北東糠坪ぬかつぼ村、南は前坂まえさか村に接する。

現在弘前市中別所なかべつしよにある俗称石仏いしぼとけの板碑塔婆群のなかで、正応元年(一二八八)年紀のものに「高椙」の地名がみえる。また元応三年(一三二一)の年紀のものに「高椙郷主」とあり、鎌倉時代からこの地域が開かれていた。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「高杉」とある。元和年中御家臣姓名大概(津軽史)の八三騎のなかに「百石 高杉村掃部」とあり、寛永一七年(一六四〇)の津軽百助宛の津軽信義黒印知行宛行状(国立史料館蔵)にも村名がある。


高杉村
たかすぎむら

[現在地名]三次市高杉町

美波羅みはら川下流西岸の肥沃な水田地帯に位置し、馬洗ばせん川沿いの北部は向江田むこうえた村、東西江田川之内えたかわのうち村に挟まれる。東南小田幸こだこう村、西南廻神めぐりかみ村に接する。三谿みたに郡に属した。

天文二二年(一五五三)の毛利氏による杉山すぎやま城攻略で、小早川隆景が椋梨弘平に与えた感状(小早川家文書)に「三谷郡高杉城」と地名を冠した城名が記されており、弘治二年(一五五六)四月の、知波夜比古ちはやひこ神社本殿の再建棟札には「備後国三谿郡高杉郷」とある。


高杉村
たかすぎむら

[現在地名]三和町字高杉

土師はぜ川の支流友淵ともぶち川下流域一帯を占め、北は菟原中うばらなか村、南は友淵村。「丹波志」に「古ヘ椙ノ大木在リ、依之民家ノ南、川ヲ左ニ見テ友淵村ヘ行、六町斗牛馬道、又民家ノ北エ川ヲ右ニ見テ行ハ下村、柏田三拾町斗、出水ノ時此道ニ回ル来道」と記される。

高一六六・〇三石、民家四〇戸、水野壱岐守領(丹波志)

「丹波志」によると、氏神春日かすが(現春日神社)祭礼は九月八日。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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