コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

石丸定次 いしまるさだつぐ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石丸定次
いしまるさだつぐ

[生]慶長10(1605).江戸
[没]延宝7(1679).5.11. 大坂?
江戸時代初期の大坂東町奉行。特に延宝年間 (1673~81) の大洪水救援に治績があった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石丸定次 いしまる-さだつぐ

1603-1679 江戸時代前期の武士。
慶長8年生まれ。石丸定盛の兄。幕臣。書院番組頭をへて,寛文3年60歳で大坂東町奉行となる。三所綿問屋(さんしょわたどいや)と綿仲間の公認,十人両替の制定など,大坂の商業政策に敏腕をふるった。寛文6年の大火,10年の津波,延宝2年の大洪水の時には窮民の救済につとめた。名奉行といわれたが,越権のそしりをうけて在職中の延宝7年5月11日自刃(じじん)したという。77歳。通称は藤蔵(とうぞう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

石丸定次

没年:延宝7.5.11(1679.6.19)
生年:慶長8(1603)
大坂東町奉行を務めた江戸前期の幕臣。通称,藤蔵。御書院組頭を経て,寛文3(1663)年大坂東町奉行となり,以後17年間その任にあって,大坂市政に大きな足跡を残した。大火や水害の後始末に功績を残したが,商業行政の上ではさらに重要な施策を講じ,天下の台所・大坂の基礎を築いた。すなわち,両替商の統制をはかるための十人両替の設定,薪売買法の制定,三所綿市問屋・綿仲間の公認,天満青物市場の保護,菜種油屋と白油屋の紛争調停などを行い,諸商業の秩序確立に努めた。江戸幕府は幕初以来,楽市・楽座の伝統を受け継ぎ,仲間・組合の結成を原則的に禁じていたが,石丸定次のこのような商業政策は,幕府の政策転換を反映するものであったといわれる。晩年には専横のそしりを招き,自刃したと伝えられる。<参考文献>宮本又次『大阪人物誌』

(宮本又郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いしまるさだつぐ【石丸定次】

1603‐79(慶長8‐延宝7)
江戸前期の幕臣。大番組頭石丸定政の子で,通称は藤蔵。はじめ淡路守のち石見守。1663年(寛文3)60歳で大坂東町奉行となる。経済政策にすぐれた手腕をもち,油屋仲間の紛争の調停,天満青物市場の保護,綿仲間の公認,薪売買法の設定など,大坂の産業発展に貢献。また大火,津波,大洪水などに際して窮民救済につとめ,名奉行といわれた。77歳で在職中に没した。【藤本 篤】

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の石丸定次の言及

【手形】より

…銀手形は近世の大坂が江戸の金遣い(きんつかい)経済に対し銀遣い経済であり,そこでの大量の商取引には丁銀(ちようぎん),豆板銀(まめいたぎん)などの秤量(ひようりよう)銀貨が使われたが,その銀貨は秤量の煩雑,携帯・運送の不便,真贋鑑定の困難を伴い,かつ正貨決済にも不便なことから使われたのである。寛文期(1661‐73)に,大坂諸商業に対する正規の作成,問屋・十人両替の組織化が東町奉行石丸定次によって計られ,この十人両替にその後中小の両替屋が結び,近世の信用機構,信用制度が拡充されると,銀手形はよりいっそう流布した。江戸中期ころから,計量貨幣の金銀貨が通用したが,大坂では手形の使用が盛んで,大坂近在や隔地間の取引をはじめ,都市内の薪炭から米魚に至る節季の支払にまで用いられた。…

※「石丸定次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

石丸定次の関連キーワード宮本又次

今日のキーワード

ムガベ大統領

1924年、英植民地の南ローデシア(現ジンバブエ)生まれ。解放闘争に参加し、80年にジンバブエを独立に導いた。同年から首相、87年から大統領として実権を握り続けた。2000年以降は白人農場主の農園を強...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android