天満青物市場(読み)てんまあおものいちば

日本歴史地名大系 「天満青物市場」の解説

天満青物市場
てんまあおものいちば

江戸時代の天神てんじん橋北詰付近より東方竜田たつた町に至る大川北岸にあった。大坂青果物を独占的に売買し、堂島どうじま米市場、雑喉場ざこば魚市場(現西区)と並んで大坂の三大市場といわれた。「摂津名所図会」に「天満市之側」として、当地と市場の賑いが描かれる。もと大坂の青物市場は石山いしやま本願寺(跡地は現東区)門前にあったと伝え、豊臣秀吉大坂城と大坂の町が建設されたのちは、大川に架かるきよう橋南詰(現同上)の土手下で市が行われた。

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百科事典マイペディア 「天満青物市場」の意味・わかりやすい解説

天満青物市場【てんまあおものいちば】

江戸時代,大坂の天神(てんじん)橋北詰付近より東方竜田(たった)町に至る大(おお)川(淀川)北岸にあった市場。大坂の青果物を独占的に売買し,堂島(どうじま)米市場・雑喉場(ざこば)魚市場と並んで大坂の三大市場といわれた。もと大坂の青物市場は石山本願寺門前にあったと伝え,豊臣秀吉大坂城と大坂の町が建設されたのちは二転,三転し,1653年に天満に移った。1685年には問屋54軒を数え,1772年株仲間結成を認められた。明治以後も大阪市の唯一の青物市場であったが,1931年大阪中央卸売市場が成立,当市場は廃止された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天満青物市場」の解説

天満青物市場
てんまあおものいちば

近世以降の大坂の野菜・果実卸売市場。常設の市場で,1653年(承応2)天満の天神橋上手から竜田町の大川(旧淀川本流)沿いに公認され,水運の便にも恵まれて独占的青物供給市場となった。その後,成長する近郊農民による青物立売(たちうり)の動きに対し,特権を守るため1772年(安永元)問屋株40と仲買株150の免許をうけたが,青物立売は絶えなかった。83年(天明3)近在16カ村の青物立売人を天満市場に同居させた後も,市場外の立売に対し,たびたび立売差止を出願している。天保期の株仲間解散令や1872年(明治5)の株仲間禁令によって取引は混乱したが,青物取引の中心地の地位を保ち,1931年(昭和6)の大阪中央卸売市場の成立後はその配給所となった。

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世界大百科事典(旧版)内の天満青物市場の言及

【天満】より

…もっとも,天満というときは天満組の範囲よりもかなり広く,堂島,堂島新地から長柄町までをも含み,飛地もあった。雑喉場(ざこば)魚市場とともに,大坂の三大市場と称された天満青物市場,堂島米市場などがあり,また諸藩の蔵屋敷も多数設置されて,大坂の商品流通の一中心であった。明治時代以降は造幣局をはじめ工場の進出も盛んで,大阪時計会社,天満紡績会社やビール工場,ガラス工場などもあった。…

※「天満青物市場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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