日本歴史地名大系 「石坐神社」の解説 石坐神社いわいじんじや 滋賀県:大津市中部地域膳所城下西ノ庄町石坐神社[現在地名]大津市西の庄旧東海道筋の南側に鎮座する。近世には八大龍王(はちだいりゆうおう)社または高木(たかぎ)宮と称されていたが、明治に入り「延喜式」神名帳に記す滋賀郡「石坐(イハイノ)神社」に比定され、現社名に改めた。同帳には「イハクラ」の訓もみえ、磐座信仰の性格を伝えるという。旧村社。祭神は天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子媛・海津見(わたつみ)神。天智天皇の治世に音羽(おとわ)山系の御霊殿(ごりようど)山に天降った八大龍王を祀ったのを始まりとし、のちに近江大津宮と壬申の乱にかかわった人々を合祀するようになったと考えられる。持統天皇の治世に山下の石神(いしがみ)へ遷座したと伝え、文永三年(一二六六)八月二九日銘の棟札からこの年本殿が建立されたことがわかるが、このとき石神から移建したとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by