デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石塚資元」の解説 石塚資元 いしづか-すけもと 1779*-1850 江戸時代後期の神職,国学者。安永7年12月27日生まれ。越前(えちぜん)(福井県)敦賀(つるが)の気比(けひ)神宮権宮司(ごんのぐうじ)。和歌を賀茂季鷹(すえたか)にまなび,本居大平(もとおり-おおひら),平田篤胤(あつたね)らと交流。敦賀の地誌「敦賀志稿」をあらわす。嘉永(かえい)3年8月7日死去。73歳。本姓は河端。名は厳満。号は紫陽花(あじさい)園。著作に「歌道の枝折(しおり)」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「石塚資元」の解説 石塚資元 (いしづかすけもと) 生年月日:1778年12月27日江戸時代末期の国学者、神職1850年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報