朝日日本歴史人物事典 「賀茂季鷹」の解説
賀茂季鷹
生年:宝暦4.2.6(1754.2.27)
江戸中・後期の歌人,国学者。姓山本。生山,雲錦と号した。生没年月日は後掲の森繁夫,高橋貞一,熊谷武至らの考証により確定。京の上賀茂神社(賀茂別雷神社)の社家に生まれる。父季種。叔父の季栄の養子となり,有栖川宮職仁親王に仕えて寵遇される。季鷹の堂上派歌人としての素養は職仁親王の指導に負う所が大きい。親王死去(1769)ののち江戸に下り,村田春海,加藤千蔭,三島自寛らと親交を結ぶ。折しも江戸は安永・天明の雅俗文芸が最も華やかだったころで,季鷹は江戸派の歌人達と交友を深めるなかで,国学系統の学問を身につけるとともに,大田南畝を中心とする俗文芸界とも接触を持った。和歌,狂歌双方に通じた季鷹の自在さはこの時期に確立したとみてよい。また東西の文人へと人脈を広げたのもこの江戸滞在をきっかけとする。後半生は本拠を賀茂に移し,和歌,狂歌,書をもって鳴る,京の文人の代表的存在となった。『万葉集類句』『伊勢物語傍註』『正誤仮名遣』『かりの行かひ』『富士日記』などの著書があり,序跋の類は限りなく多い。家集『雲錦翁家集』。<参考文献>森繁夫『人物百談』,高橋貞一「賀茂季鷹の没年齢とその蔵書」(『京都市立西京高等学校研究紀要・人文科学』4号),熊谷武至『続々歌集解題余談』(私家版),土岐武治「賀茂季鷹の生涯と学統」(『花園大学研究紀要』2号)
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報