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賀茂季鷹 かもの すえたか

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美術人名辞典の解説

賀茂季鷹

江戸後期の国学者。京都生。姓は山本、号を生山・雲錦。和歌を有栖川宮職仁親王に学ぶ。江戸では加藤千蔭村田春海ら歌人・文人と交わり、京に帰って上賀茂の祠官となる。狂歌を得意とし、居を雲錦亭と名づけ歌仙堂を設け、また文庫に数千巻の書を蔵した。天保12年(1841)歿、91才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

賀茂季鷹 かもの-すえたか

1754-1841 江戸時代中期-後期の神職,歌人。
宝暦4年2月6日生まれ。有栖川宮職仁(ありすがわのみや-よりひと)親王に歌をまなび,江戸で加藤千蔭(ちかげ)ら文人,歌人とまじわる。京都にかえり上賀茂神社の祠官をつぐ。書,狂歌もよくした。天保(てんぽう)12年10月9日死去。88歳。京都出身。本姓は山本。号は生山,雲錦。歌集に「雲錦翁家集」「みあれの百くさ」など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

賀茂季鷹

没年:天保12.10.9(1841.11.21)
生年:宝暦4.2.6(1754.2.27)
江戸中・後期の歌人,国学者。姓山本。生山,雲錦と号した。生没年月日は後掲の森繁夫,高橋貞一,熊谷武至らの考証により確定。京の上賀茂神社(賀茂別雷神社)の社家に生まれる。父季種。叔父の季栄の養子となり,有栖川職仁親王に仕えて寵遇される。季鷹の堂上派歌人としての素養は職仁親王の指導に負う所が大きい。親王死去(1769)ののち江戸に下り,村田春海,加藤千蔭,三島自寛らと親交を結ぶ。折しも江戸は安永・天明の雅俗文芸が最も華やかだったころで,季鷹は江戸派の歌人達と交友を深めるなかで,国学系統の学問を身につけるとともに,大田南畝を中心とする俗文芸界とも接触を持った。和歌,狂歌双方に通じた季鷹の自在さはこの時期に確立したとみてよい。また東西の文人へと人脈を広げたのもこの江戸滞在をきっかけとする。後半生は本拠を賀茂に移し,和歌,狂歌,書をもって鳴る,京の文人の代表的存在となった。『万葉集類句』『伊勢物語傍註』『正誤仮名遣』『かりの行かひ』『富士日記』などの著書があり,序跋の類は限りなく多い。家集『雲錦翁家集』。<参考文献>森繁夫『人物百談』,高橋貞一「賀茂季鷹の没年齢とその蔵書」(『京都市立西京高等学校研究紀要・人文科学』4号),熊谷武至『続々歌集解題余談』(私家版),土岐武治「賀茂季鷹の生涯と学統」(『花園大学研究紀要』2号)

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かものすえたか【賀茂季鷹】

1754‐1841(宝暦4‐天保12)
江戸後期の歌人。京都上賀茂神社祠官。本姓山本。安房守に任じ,雲錦亭と号した。若くして有栖川宮家に仕えたのち,江戸に20年間遊学し,加藤千蔭や村田春海らの江戸派歌人と交流を深め,雅名を高めた。歌はその最も得意とするところで,後年は小沢蘆庵なきあとの京都歌壇を香川景樹と二分するほど勢力があった。能書家として聞こえ,狂歌もよくした。家集に《雲錦翁家集》,紀行文に《富士日記》があり,他に《伊勢物語傍注》等を著した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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