20世紀日本人名事典 「石川節子」の解説 石川 節子イシカワ セツコ 明治・大正期の女性 石川啄木の妻。 生年明治19(1886)年10月14日 没年大正2(1913)年5月5日 出生地岩手県南岩手郡上田村 旧姓(旧名)堀合 学歴〔年〕盛岡女学校〔明治35年〕卒 経歴岩手郡役所に勤務する士族・堀合忠操の長女として生まれる。盛岡女学校在学中に啄木と知り合い、明治38年結婚。故郷を追われた夫とともに、函館、小樽、東京と移り住む。啄木の素質は彼女との恋愛によって目ざめ、かがやきを増したとも言われる。啄木没年の翌年、大正2年5月彼女も結核で死亡。56年、彼女を題材とした女流作家による小説が出版され話題となる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川節子」の解説 石川節子 いしかわ-せつこ 1886-1913 明治-大正時代,石川啄木(たくぼく)の妻。明治19年10月14日生まれ。盛岡女学校在学中に啄木と知りあい,明治38年結婚。故郷をおわれた夫とともに,函館(はこだて),小樽(おたる),東京とうつりすむ。夫の才能を信じ,その精神的な支えとなる。啄木の没後,日記と遺稿をまもり,大正2年5月5日死去。28歳。岩手県出身。旧姓は堀合。【格言など】わが娘今日も一日外科室に遊ぶと言ふが悲しき一つ 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by