石川舜台(読み)イシカワ シュンタイ

20世紀日本人名事典 「石川舜台」の解説

石川 舜台
イシカワ シュンタイ

明治期の僧侶 真宗大谷派(東本願寺)上席参務。



生年
天保12年10月8日(1841年)

没年
昭和6(1931)年12月31日

出生地
加賀国士取場永町(石川県)

経歴
21歳で京都東本願寺の高倉学寮に学び、24歳で帰郷し私塾「慎憲塾」を開いた。明治5年法主大谷光瑩に随行し欧米視察、帰国後、本山改正掛として東本願寺の本山、教団改革、教学、学制改革に取り組み、近代化を推進した。また政府の廃仏棄釈政策の転換に西本願寺の島地黙雷らと組んで当たった。11年寺務総長に就任したが失脚。30年本山の保守派渥美契縁退陣の後を受け上席参務となり、再び宗政を握るなど、変革期の東本願寺宗政のひのき舞台で活躍した。しかし失脚のあげく僧籍剥奪の宗門最高処罰にあうこと3度、曲折に富む宗門人生を送った。38年富山県石動の道林寺に入寺。著書に「石川舜台師選集」「本願寺宗政論」「真宗史料集成」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川舜台」の解説

石川舜台 いしかわ-しゅんたい

1842-1931 明治時代の僧。
天保(てんぽう)13年10月8日生まれ。真宗大谷派の寺に生まれ,東本願寺の高倉学寮にまなぶ。明治5年大谷光瑩(こうえい)らと欧米を視察。帰国後,教団の組織・学制の近代化をすすめ,中国,朝鮮布教につとめた。昭和6年12月31日死去。90歳。加賀(石川県)出身。字(あざな)は敬輔。号は節堂など。著作に「真宗安心(あんじん)論」「大経講話」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川舜台」の意味・わかりやすい解説

石川舜台
いしかわしゅんたい

[生]天保13(1842).10. 金沢
[没]1931.12.31.
真宗大谷派の僧。 1878年東本願寺の事務総長となり,教育の刷新,清国,台湾,朝鮮への布教などに努めた。

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