新撰 芸能人物事典 明治~平成 「石橋エータロー」の解説
石橋 エータロー
イシバシ エータロー
- 職業
- ジャズ・ピアニスト,料理研究家
- 本名
- 石橋 英市
- グループ名
- グループ名=クレージー・キャッツ
- 生年月日
- 昭和2年 10月9日
- 出生地
- 東京都 港区新橋
- 学歴
- 東洋音楽学校(東京音楽大学)〔昭和24年〕卒
- 経歴
- 父は尺八奏者の福田蘭童で、祖父は洋画家の青木繁。父が、強姦事件を起こした責任をとって母と離婚し、女優の川崎弘子と結婚したため、母の実家である石橋家で育った。母の兄・石橋勝浪は第一次大戦にフランス軍のパイロットとして参戦した飛行家。5歳の頃からピアノを習う。暁星中学に進み、先輩に桜井センリがいた。東洋音楽学校(東京音楽大学)でピアノ、声楽を学んだが、知人の頼みにより進駐軍のクラブで演奏するジャズバンドのピアニストの代理を務めたことがきっかけで、ジャズ・ピアニストに転向。植木等や安田伸らとバンドを組んだ後、昭和31年ハナ肇率いるクレージー・キャッツに参加。メンバーはリーダーでドラムスのハナ、ボーカルとギターの植木、トロンボーンの谷啓、テナーサックスの安田、ベースの犬塚弘。ジャズメン仲間だった渡辺晋が設立したマネジメント会社・渡辺プロダクションに入り、娯楽の主役がテレビに移行する中でジャズメンからテレビタレントへと転身。34年テレビ初レギュラーとなったフジテレビのコント番組「おとなの漫画」でコミックバンドとして注目を集め、同番組で放送作家の青島幸男と出会う。36年からは日本テレビの歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演、音楽とギャグが同居したナンセンスでスピード感のある笑いは、それまでの落語や漫才、藤山寛美に代表される人情喜劇とは対照的で、日本人の笑いに革命をもたらし、植木の“お呼びでない、こりゃまた失礼致しました”“ハイそれまでョ”、谷の“ガチョーン”“ビローン”といったギャグは一世を風靡した。人気が爆発する直前に結核で倒れ、肋骨を5本切除する手術を受け、1年余の入院生活を経て、復帰。この間、穴埋めのピアニストとして桜井が加入しており、復帰後は桜井と2人でピアノを担当した。45年末、体調を崩したためにクレージーから退団し、料理研究家に転身。東京・渋谷で日本料理店を経営した。著書に「食いしんぼクッキング」「エータローの食いしん坊人生」「画家の後裔」「釣った魚をおいしく食べる」などがある。
- 没年月日
- 平成6年 6月22日 (1994年)
- 家族
- 父=福田 蘭童(尺八奏者),祖父=青木 繁(洋画家)
- 親族
- 叔父=青木 茂(画家),伯父=石橋 勝浪(飛行家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報