新撰 芸能人物事典 明治~平成 「福田蘭童」の解説
福田 蘭童
フクダ ランドウ
- 職業
- 尺八奏者(琴古流),作曲家 随筆家
- 本名
- 石渡 幸彦(イシワタ サチヒコ)
- 生年月日
- 明治38年 5月15日
- 出生地
- 栃木県
- 学歴
- 中央音楽学校卒
- 経歴
- 洋画家・青木繁の実子として生まれ、父の作品には生後間もない彼を描いた「幸彦像」という肖像画がある。母の福田たねも洋画家であった。しかし、2歳の時に父と別れ、母方の祖父で漢学者の福田豊州に育てられた。幼い頃に郷里の竹やぶから竹を切って尺八を自作したのがきっかけでこの楽器に惹かれ、小学校を卒業して上京してからは琴古流の関口月童、ついで水野呂童に尺八の奏法を学んだ。以来、練習に没頭し、中学生にして師範代となった。のち音楽家を志し、真島音楽院でピアノを室崎琴月に、バイオリンを高階哲夫に師事。同院卒業ののち大学か官立の音楽学校への進学を希望するが、郷里から仕送りが途絶えたため、陸軍省のアルバイトとなり、シベリア出兵史の原稿執筆に従事。この間、尺八師匠の免状を取得し、関東大震災後は虚無僧となって全国行脚の旅に出た。その後、作曲に没頭して邦楽と洋楽の結合を試み、ピアノ伴奏による新しい尺八曲などを作曲。松竹映画音楽部を経て、戦後はNHKの連続ラジオドラマ「笛吹童子」「紅孔雀」などの伴奏音楽の作曲・演奏し、好評を得た。尺八曲の代表作に「深山のひぐらし」「利根の舟唄」などがある。随筆にも才能を示し、昭和34年国際ペンクラブのフランクフルト大会では日本代表として出席、その傍ら尺八を吹きながら世界を漫遊した。また、井伏鱒二、辻まこと、開高健ら名だたる釣り名人を驚倒させた太公望としても知られ、その釣行は国内にとどまらず揚子江、ナイル、台湾など世界に及び、旧ソ連時代のバイカル湖で釣りをした時にはスパイと間違われ、あやうく逮捕されかけたという逸話もある。料理人としても知られ、自らが釣った魚は自身の手で調理し、晩年は東京・渋谷に魚と酒の店・三漁洞を営んだ。著書に「蘭童捕物帳」「うわばみ行脚」「この目で見た赤い国」「世界つり歩き」「風流釣れ釣れ草」「福田蘭童の釣った魚はこうして料理」などがある。長男はクレージーキャッツのピアニストだった石橋エータロー。
- 没年月日
- 昭和51年 10月8日 (1976年)
- 家族
- 妻=川崎 弘子(女優),長男=石橋 エータロー(ピアニスト),父=青木 繁(洋画家),母=福田 たね(洋画家)
- 伝記
- 二列目の人生―隠れた異才たち 池内 紀 著(発行元 集英社 ’08発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報