石田英吉(読み)イシダ エイキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「石田英吉」の解説

石田 英吉
イシダ エイキチ


肩書
貴院議員(勅選),農商務次官

別名
別名=伊吹 周吉(イブキ シュウキチ)

生年月日
天保10年11月8日(1839年)

出生地
土佐国安芸郡中山村(高知県)

経歴
文久元年大阪に出て緒方洪庵に入門。3年吉村寅太郎らの天誅挙兵に参加したが、幕軍に敗れ長州に脱走。元治元年禁門の変に従軍、重傷して再び長州に逃れた。慶応元年高杉晋作の奇兵隊に参加、2年坂本龍馬の海援隊に入り長崎へ出張、海軍事務に尽力。明治元年振遠隊の御用掛として奥羽鎮圧に出征軍監として転戦。2年長崎県小参事、8年秋田県令、16年長崎県令、21年千葉県知事、23年陸奥宗光農商務大臣の次官、25年高知県知事など歴任。のち勅選貴院議員。29年男爵。

没年月日
明治34年4月8日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「石田英吉」の解説

石田英吉

没年:明治34.4.8(1901)
生年:天保10.11.8(1839.12.13)
明治維新の志士,行政官,政治家。土佐の国安芸郡中山村(高知県安田町中山)生まれ。少壮より文武の業に励み,医術を修めたが,大和天誅の乱(1863)で敗退し長州に走り蛤御門の変(1864)に参戦,坂本竜馬の海援隊に参加,陸奥宗光と親交,戊辰戦争にも出征した。維新後明治政府に出仕して,地方官(長崎県大参事,秋田県権令・同県令,長崎県令,千葉,高知の県知事)を歴任して治績を挙げ,また元老院議官も務めた。第1次伊藤博文内閣で農商務大臣陸奥の下で農商務次官を経歴,その後貴族院勅選議員に挙げられ,没年に至った。明治29(1896)年男爵。孫の英一郎は大正15(1926)年,爵位を返上した。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石田英吉」の解説

石田英吉 いしだ-えいきち

1839-1901 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)10年11月8日生まれ。土佐高知藩士。大坂の緒方洪庵(おがた-こうあん)に医術をまなぶ。天誅(てんちゅう)組の挙兵にくわわり,のち奇兵隊,海援隊に加入。戊辰(ぼしん)戦争にも従軍する。維新後,長崎県令,千葉・高知県知事などをへて,貴族院議員。明治34年4月8日死去。63歳。本姓は伊吹。別名に周吉など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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