砂田明(読み)スナダ アキラ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「砂田明」の解説

砂田 明
スナダ アキラ


職業
劇作家 演出家 俳優

専門
演劇,水俣病患者支援運動

肩書
不知火座(劇団)主宰

生年月日
昭和3年 3月7日

出生地
京都府 京都市

学歴
神戸高等商船学校機関科〔昭和22年〕卒,舞台芸術学院〔昭和26年〕卒

経歴
戦後間もなく佐分利信の内弟子となり約20年間新劇の舞台に立つ。昭和42年劇団・地球座を設立。45年水俣病を見据えた石牟礼道子の著書「苦海浄土」を読んで感銘を受け、東京・水俣病を告発する会の代表世話人となり、全国をたくはつ行脚。翌年から一人芝居「天の魚(いを)」(劇・苦海浄土)を全国巡演し、500回を超えた。47年に水俣へ移り、個人誌「不知火の海から」(季刊)を発刊。54年から患者の田上義春と乙女塚農園を始め、その一角に水俣病犠牲者の霊を弔う乙女塚を建立するため、一人芝居「海よ母よ子どもらよ」の全国勧進公演を行い、59年末には500回を記録した。59年に反戦・反核・反公害の交響詩劇「鎮魂歌―ヒロシマ・ナガサキ」を、63年には朗読詩劇「鎮魂歌―女の平和」を自費出版した。

受賞
紀伊国屋演劇賞特別賞(第15回)〔昭和55年〕「海よ母よ子どもらよ」

没年月日
平成5年 7月16日 (1993年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「砂田明」の解説

砂田 明
スナダ アキラ

昭和・平成期の劇作家,演出家,俳優 不知火座(劇団)主宰。



生年
昭和3(1928)年3月7日

没年
平成5(1993)年7月16日

出生地
京都市

学歴〔年〕
神戸高等商船学校機関科〔昭和22年〕卒,舞台芸術学院〔昭和26年〕卒

主な受賞名〔年〕
紀伊国屋演劇賞特別賞(第15回)〔昭和55年〕「海よ母よ子どもらよ」

経歴
戦後間もなく佐分利信の内弟子となり約20年間新劇の舞台に立つ。昭和42年劇団・地球座を設立。45年水俣病を見据えた石牟礼道子の著書「苦海浄土」を読んで感銘を受け、東京・水俣病を告発する会の代表世話人となり、全国をたくはつ行脚。翌年から一人芝居「天の魚(いを)」(劇・苦海浄土)を全国巡演し、500回を超えた。47年に水俣へ移り、個人誌「不知火の海から」(季刊)を発刊。54年から患者の田上義春と乙女塚農園を始め、その一角に水俣病犠牲者の霊を弔う乙女塚を建立するため、一人芝居「海よ母よ子どもらよ」の全国勧進公演を行い、59年末には500回を記録した。59年に反戦・反核・反公害の交響詩劇「鎮魂歌―ヒロシマ・ナガサキ」を、63年には朗読詩劇「鎮魂歌―女の平和」を自費出版した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「砂田明」の解説

砂田明 すなだ-あきら

1928-1993 昭和後期-平成時代の舞台俳優。
昭和3年3月7日生まれ。舞台芸術学院でまなぶ。石牟礼(いしむれ)道子の「苦海浄土」の影響をうけ,昭和46年劇「苦海浄土」を上演。47年熊本県水俣に移住し,個人通信「不知火の海から」を発刊。54年から水俣病を告発する独り芝居「天の魚(いお)」を全国各地で公演した。平成5年7月16日死去。65歳。京都出身。高等商船卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「砂田明」の解説

砂田 明 (すなだ あきら)

生年月日:1928年3月7日
昭和時代;平成時代の劇作家;俳優。不知火座(劇団)主宰
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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