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鮭延秀綱 さけのぶ ひでつな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鮭延秀綱 さけのぶ-ひでつな

1562-1646 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)5年生まれ。佐々木貞綱の子。出羽(でわ)鮭延城(山形県)城主。天正(てんしょう)9年から最上義光(もがみ-よしあき)に属し,関ケ原の戦いでは上杉方の小野寺氏を攻めた。元和(げんな)8年最上家改易(かいえき)により,下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)藩主土井利勝の家臣となった。正保(しょうほ)3年6月21日死去。85歳。生年は一説に永禄6年。別名に愛綱。通称は典膳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鮭延秀綱

没年:正保3.6.21(1646.8.2)
生年:永禄6(1563)
戦国・江戸初期の武将。最上家の重臣。別名,愛綱。越前守。近江源氏の一族,貞綱の子。出羽国横手城(秋田県)城主小野寺氏の客将となり,天正年間の初め最上地方の岩花,真室川に鮭延城を構える。天正9(1581)年最上義光に攻略され,のち重臣に取り立てられて,最上地方の北部に1万5000石(のち1万7000石)を与えられた。山形藩最上氏の元和期の藩政では,楯岡甲斐守光直らと共に主流派の重鎮として活躍したが,最上氏の改易により,下総佐倉藩(千葉県)土井家に預けられ,のち古河藩(茨城県)藩主土井家に移された。土井家は,鮭延氏に知行5000石(一説に1000石)を与えて遇した。<参考文献>『新庄市史』2巻

(横山昭男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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