朝日日本歴史人物事典 「鮭延秀綱」の解説
鮭延秀綱
生年:永禄6(1563)
戦国・江戸初期の武将。最上家の重臣。別名,愛綱。越前守。近江源氏の一族,貞綱の子。出羽国横手城(秋田県)城主小野寺氏の客将となり,天正年間の初め最上地方の岩花,真室川に鮭延城を構える。天正9(1581)年最上義光に攻略され,のち重臣に取り立てられて,最上地方の北部に1万5000石(のち1万7000石)を与えられた。山形藩最上氏の元和期の藩政では,楯岡甲斐守光直らと共に主流派の重鎮として活躍したが,最上氏の改易により,下総佐倉藩(千葉県)土井家に預けられ,のち古河藩(茨城県)藩主土井家に移された。土井家は,鮭延氏に知行5000石(一説に1000石)を与えて遇した。<参考文献>『新庄市史』2巻
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報