常陸国(茨城県)の地名。鹿島灘に面する漁村として古くから発達した。那珂川をはさんで北の湊村(ひたちなか市)に相対する。平安時代の《和名抄》に見える鹿島郡宮田郷の地で,式内社大洗神社の神領であったという。江戸時代初め水戸藩領となり,1679年(延宝7)海岸に磯が多いので,磯浜と改称したと伝えられる。のち茨城郡に所属し,現在は東茨城郡大洗町の中心部分を占める。江戸時代,漁業では水戸領内で首位を占め,早くから大網繰による鰯漁が盛んであったが,磯ノ浜節として鰹節でも知られた。漁船の出入りが多かったので,88年(元禄1)藩主徳川光圀の時代,那珂川河口の祝町に洗濯屋と俗称された遊郭が公許されにぎわった。茨城県の代表的民謡《磯節》はこの遊郭あたりから広まったともいう。1845年(弘化2)の戸数は1100軒。89年町制施行,1954年大貫町と合併,大洗町となり,観光と漁業の町となった。
執筆者:瀬谷 義彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…砂浜海岸に対して,岩石海岸を磯あるいは磯浜という。岩礁性の海辺は,海藻をはじめ魚介類のかっこうの生息地となり,また砂浜に比べて海水の透明度が高いところから,古来より,箱めがねを用いて水中をのぞきながら,もりややす,あるいはかぎで魚を突くミツキ,カナギ,イソネギなどと各地で呼ばれる磯漁の舞台として,日本の沿岸漁業の中で重要な位置を占めてきた。…
…那珂川河口の南にあり,鹿島灘に面する。中心集落の磯浜は,那珂湊,平磯とともに三浜(さんぴん)地方の一角を占め,沿岸・沖合漁業の中心地である。1961年に着手された大洗港建設事業は,74年に漁港部分が完成し,79年には重要港湾に指定された。…
※「磯浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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