磯谷村(読み)いそがやむら

日本歴史地名大系 「磯谷村」の解説

磯谷村
いそがやむら

[現在地名]市原市磯ヶ谷

武子たけし村の南にある。文禄三年(一五九四)八月検地があったとされ(上総国町村誌)、同年の上総国村高帳では磯ヶ谷村として高七五九石。元禄郷帳では高八一〇石余。享保九年(一七二四)より佐貫藩領(「阿部正鎮領知目録」阿部家文書)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高八一一石余で家数一五五、佐貫藩領と旗本仙石・浅井・榊原領のほか八幡宮領。旧高旧領取調帳では佐貫藩領一四四石余・八幡神社領五〇石のほか仙石領三五六石余・浅井領二五六石余・榊原領一〇石余。


磯谷村
いそやむら

明治三五年(一九〇二)より昭和三〇年(一九五五)まで存続した村。近世のイソヤ場所をほぼ継承するもので、明治二年八月画定の磯谷郡域にも相当する。同三年の「北行日記」に「磯谷陣屋」とみえ、「途中迄堤灯二ツ迎ニ出ツ、途中迄役土人ヱーサク支配人代其外用処懸リノ面々出ツ」「運上家馳走ニテ種々ノ饗応アリ、大酔」と記される(同年八月二日条)。「恵曾谷日記」によれば、磯谷第一の産は春鯡で、大群来は一春に五、六度くらいであるが、それで浜中の一ヵ年の生計が出るという(同年正月条)


磯谷村
いそだにむら

[現在地名]大豊町磯谷

東流する吉野川北岸にある山村。吉野川を挟んで南は穴内あなない村。西は尾生おう村。本山もとやま郷の一村。天正一七年(一五八九)の本山郷地検帳に「磯谷名」とみえ、検地面積一町八反六代、うち田分一反四一代、畠分四反三五代、屋敷数一〇で一町一反三〇代、長宗我部氏家臣大法寺の給地となっている。同年の本山郷高山切畑地検帳によれば五筆三反三七代に大麦・小麦が作られている。

天和三年(一六八三)一一月一五日付御留山改帳(「日本林制史調査史料」所収)によると村内には留山があり、名本が留山の山守役を兼務し、百姓三人役を給せられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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