日本歴史地名大系 「祐福寺」の解説
祐福寺
ゆうふくじ
旧祐福寺村の中央にあり、池を隔てて
が伝えられている。祐福寺文書中には、明応五年(一四九六)の足利義澄の御教書、大永八年(一五二八)の後奈良天皇勅願の綸旨、元和六年(一六二〇)の徳川義直黒印状などがあり、寺領七〇〇石は豊臣秀吉に没収されたが、尾張藩から改めて四〇石の寄進を受けた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
旧祐福寺村の中央にあり、池を隔てて
が伝えられている。祐福寺文書中には、明応五年(一四九六)の足利義澄の御教書、大永八年(一五二八)の後奈良天皇勅願の綸旨、元和六年(一六二〇)の徳川義直黒印状などがあり、寺領七〇〇石は豊臣秀吉に没収されたが、尾張藩から改めて四〇石の寄進を受けた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...