神木村(読み)こうのぎむら

日本歴史地名大系 「神木村」の解説

神木村
こうのぎむら

[現在地名]御浜町神木

熊野灘に注ぐ市木いちぎ川上流の丘陵盆地にある。北に札立ふだたて峠、西に妙見みようけん山・西にしみね山の山系があり、冬の季節風を遮る。村名は慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に「神野木村」とみえる。応永(一三九四―一四二八)頃有馬忠永が当地方一六ヵ村を領し、忠永の一族といわれる榎本出雲守が当村原地はらじに居館し、大田おおた(現和歌山県那智勝浦町)に八〇〇石を領した(紀伊続風土記)

神木村
こうぎむら

[現在地名]加古川平荘町神木へいそうちようこうぎ平荘町新中山へいそうちようしんなかやま

山角やまかど村の北西に位置する。村の南部を東西に姫路へ至る道が通る。天文元年(一五三二)八月一七日の報恩寺旧記覚(報恩寺文書)によると水神大歳おおとし神が存在した。慶長国絵図に村名がみえる。正保郷帳によれば田方一三一石余・畑方一三石余。天保郷帳では高一八二石余。天保四年(一八三三)の加古川筋一揆では大庄屋が打毀され、二五、六人が捕らえられたという(「丹波加古川筋一揆伝書」酒井家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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