神社合祀(読み)じんじゃごうし

改訂新版 世界大百科事典 「神社合祀」の意味・わかりやすい解説

神社合祀 (じんじゃごうし)

神社を合併整理することで,明治初年と明治末年に政府の手でおこなわれた。維新政府は,1872年の太政官布告で神社を〈国家ノ宗祀〉となし,官社,諸社にわけ,官国幣社,府県郷村社と社格を付与し,村社に指定されない雑社の合併整理をはかった。それは,〈大小神社氏子取調規則〉にもとづく,寺請制を神社にあてはめようとのこころみであったが失敗した。1906年内務省訓令で神饌幣帛料の供進を決定する基準を定め,府県郷村社の整理をうながした。この政策は,一町村一社をめざし,地方改良運動と結びついて,行政町村を幣進料供進社に指定された基本財産のある有力神社を中心にまとめようとしたもの。整理事業は,地域差があるものの,全国神社は整理開始前の1905年の19万5000社が10年には14万1000社に減少,4社に1社を滅却,なかでも無格社の35%をとりつぶした。こうして政府は,国家の宗祀たる神社の実を官社であげるのみならず民社にまでおよぼし,14年の神社祭祀令と神社祭式で全国各地各級の神社が宮中祭祀に対応する儀礼の場となるよう制度的に位置づけた。そのため各地各社の地方色ある特殊神事は廃滅にむかい,民心協同の場たる性格を失った。
執筆者: この神社合併は,政策の直接執行者が各府県の長官であったため,地方によって合併状況の濃淡が出た。たとえば三重和歌山などは,かなり大規模におこなわれ,新潟ではあまりおこなわれなかった。現在の神社数をみても新潟の神社数は全国一の4000社を越え,三重,和歌山は,その半数の神社数となっている。地元住民の精神的支柱である神社を行政が一方的に整理することへの反発は強く,南方熊楠などを代表として,当時から批判の対象になっていた。しかし最近の神社復祀の研究などからの新資料をみると必ずしもそうとだけとはいいきれない面もある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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