明治初期の太政官によって公布された法令の形式。明治維新後の集中権力の創出は,太政官制の復活という形で行われた。法令形式の整備は,国政の中枢機構であるこの太政官制の形成・確立に照応して進められた。明治新政府が発する法令は,維新当初の御沙汰書の形式から布告,布達,達の形式へと移っていくが,版籍奉還,廃藩置県など一連の政治変革を経て統一国家が形成されるまでの過渡的段階においては,法令の形式・名称は一定していない。1871年(明治4)7月の太政官制の改革にともない,全国一般に布告する制度・条例に関する件は太政官より発令し,その他告諭のごときは主任の官省よりじかに布達するものとされたが,各官省による布告も並行して存在していた。73年7月18日の太政官布告は,太政官から発令する布告・達類の結文例を,各庁および官員限りの達書は〈此旨相達候事〉または〈此旨可相心得候事〉,全国一般に布告するものは〈此旨布告候事〉,華士族あるいは社寺へ布告するものは〈此旨華士族へ布告候事〉または〈此旨社寺へ布告候事〉と定めたが,同年8月28日の太政官達をもって各省使についてもこの形式に準拠させることとし,ただ布告の文字を布達に代えるべきものとした。かくして,全国一般に公布する太政官布告および各省使の布達と,官庁に対する訓令である太政官達および各省使の達とがはっきりと区別されることになった。
その後立憲制への移行が具体化した1881年には官制全般の改正が行われたが,同年11月10日の〈諸省事務章程通則〉によって,各省主管の事務に属する法律,規則,布達については各省卿がこれに副署してその執行責任をとるものとされた。ついで翌12月3日の太政官達で,法律,規則は布告をもって,従前諸省限り布達した条規の類はすべて太政官より布達をもって,さらに太政官および諸省より一時公布するにとどまるものは告示をもって発行するものとされた。これによって官庁が発令する法令の形式は,布告,布達,達,告示の4形式となった。
85年12月,太政官制が廃止され内閣制が創設されると,翌86年2月26日(官報登載)勅令第1号をもって公文式が公布され,新たに法律,勅令,閣令,省令の形式が用いられることになり,ここに太政官布告などの形式は廃されることになった。しかし,89年2月公布の大日本帝国憲法第76条の〈法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス〉との規定により,憲法に矛盾しない太政官布告は引き続き有効なものとされた。
執筆者:吉井 蒼生夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加