福井城跡(読み)ふくいじようあと

日本歴史地名大系 「福井城跡」の解説

福井城跡
ふくいじようあと

[現在地名]福井市大手一丁目一帯

足羽あすわ山の北東、足羽川北岸にある。天正三年(一五七五)柴田勝家によって築城された北庄きたのしよう城がその前身である。純然たる平城で、北方には九頭竜くずりゆう川に舟橋を架して備え、南側は足羽川とその支流吉野よしの川を城濠として利用し、その合流点に本丸を配置した。後の松平氏のそれよりもやや南に偏し、現在の柴田しばた神社に旧跡をとどめる。

天正三年八月、勝家は城地を占定すると直ちに築城にかかり、同四年および六年に再度の修理を行って城郭を拡大している(福井県史)。同九年頃にもまだ工事続行中とみえて、同年四月布教のため北庄を訪れた宣教師ルイス・フロイスの本国宛の書翰(耶蘇会日本年報)に「此城は甚だ立派で今大きな工事をして居り」とあり、城や家々の屋根は石で葺いてあって美しいと記している。天正一一年四月、北庄城攻撃に際して羽柴秀吉が毛利輝元に報知した同月二七日付書状(毛利家文書)には「数年雖拵置要害候、即時乗崩候」とし、同年五月一五日付の小早川隆景への書状(同文書)にも「城中ニ石蔵を高築、天主を九重ニ上候」と述べている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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