福井洞窟(読み)ふくいどうくつ

国指定史跡ガイド 「福井洞窟」の解説

ふくいどうくつ【福井洞窟】


長崎県佐世保市吉井町にある洞窟。佐々川(さざがわ)支流の福井川左岸の稲荷神社境内にあり、張り出した巨大な岩の岩陰に開いた間口16m、奥行き6m、高さ3mの洞窟で、1960年(昭和35)から発掘調査されてきた。表土から最下部の岩盤まで約5.5mの深さに15の堆積層があり、旧石器時代から縄文時代にいたる7つの文化層が認められる。表層の1層からは縄文時代早期の石鏃(せきぞく)と押型文(おしがたもん)土器が発見され、2~3層では土器草創期の爪形文(つめがたもん)土器、隆線文(りゅうせんもん)土器、および細石刃(さいせきじん)が出土した。2層の爪形文土器と3層の隆線文土器との層の関係から、草創期の土器群が隆線文土器から爪形文土器へと続いたことが明らかにされた。また、一緒に出土した細石刃が、より古い4層に同じ様相で発見され、4層は土器をともなわない石器群の地層であることから、細石刃を製作・使用していた旧石器人が、土器製作を開始したと推測できる。さらに、7層からは4層で出土した細石刃より一回り大きく、小型石刃ともいうべき石器群が出て、細石刃がつくられる前段階と考えられ注目される。また、この7層を境にして石器の材料が変わり、7層より上の時代ではサヌカイトも使われているが主体黒曜石で、逆に7層より下の層では黒曜石はまったく見られず、サヌカイト製の石器ばかりである。9層にはサヌカイトの石核(せっかく)や翼形剝片が出土し、サヌカイトで打製石器が盛んに造られていたことがわかる。最下層の15層からは、九州で知られている石器群のうち最古に属すると考えられる両面加工の大型の石器が出土している。7層で初めて黒曜石を使った石器が現れ、サヌカイト製石器が急激に衰えるのは、佐賀県伊万里市の腰岳や佐世保市の針尾島などの黒曜石の産地が発見され、交流が始まったからだといわれる。旧石器時代から縄文時代への発展過程、そして草創期における土器の変遷を堆積層で示す貴重な遺跡として注目され、1978年(昭和53)に国の史跡に指定された。松浦鉄道西九州線潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)駅から車で約7分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「福井洞窟」の意味・わかりやすい解説

福井洞窟
ふくいどうくつ

長崎県佐世保(させぼ)市吉井町福井にある洞窟で、旧石器時代から縄文時代にかけての15層からなる重層遺跡。洞窟の間口は16.4メートル、奥行は5.5メートル、庇高(ひさしだか)は4メートル。洞窟内には稲荷(いなり)の社殿があり、昭和の初めに社殿改修工事が行われ、初めて縄文土器や人骨が発見された。その後、1960年(昭和35)から初期の学術調査が、2012年(平成24)から再発掘調査が行われ、旧石器時代から縄文時代にかけての文化層(遺物や遺構を多く含む地層のこと)が8つ重複して残されている事実が判明した。第2層および第3層からは土器と細石刃(さいせきじん)が伴出し、第4層から第15層までには土器がまったく含まれていない。こうした地層ごとの調査により、約1万9000年前の細石刃の初現から終末にいたる変遷と土器出現の過程が明らかとなり、自然科学分析による年代測定の結果、土器の出現年代が約1万6000年前であることが確実となった。また、炉や石器製作の跡から、河川や地滑りなどによって洞窟地形がつくられた過程で、人々が洞窟を利用した生活を行っていたこともわかった。

 福井洞窟は、1978年に国史跡に指定され、その後2024年(令和6)には「日本列島における後期旧石器時代から縄文時代への移行を連続的に示す洞窟遺跡」として、旧石器時代初の特別史跡にも指定された。

[栁田裕三 2025年12月16日]

『佐世保市教育委員会編『旧石器から縄文のかけ橋!福井洞窟――洞窟を利用しつづけた大昔の人々』(2022・雄山閣)』『栁田裕三著『旧石器文化から縄文文化へ――福井洞窟』(2024・新泉社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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