日本大百科全書(ニッポニカ) 「針尾島」の意味・わかりやすい解説
針尾島
はりおじま
長崎県大村湾北方の出口に位置する島。佐世保市(させぼし)に属する。面積34.52平方キロメートル。東は早岐瀬戸(はいきせと)を隔てて本土に接し、西は針尾瀬戸を隔てて西彼杵(にしそのぎ)半島に接するが、東は観潮(かんちょう)橋、西は西海(さいかい)橋の架橋によって、国道202号を通じ、佐世保、長崎への交通が開かれた。
佐世保市と合併以前の大正期には江上(えがみ)村と崎(さき)針尾村に分けられていたが、その境界線は、江上浦の長い湾入の延長部にあたる宮ノ浦(みやのうら)を経て牛ノ浦(うしのうら)に至る線で、この線上はかつては瀬戸をなした可能性がある。伝承によれば、神揚(かみあげ)、指方(さしかた)、宮ノ浦は神功皇后(じんぐうこうごう)の寄港地であり、前面の田原は干拓地である。地形的には、江上地区では牛(うし)ノ岳、飯盛(いいもり)山など第三紀層上に玄武岩をのせるビュート状の孤丘が散在し、崎針尾地区では厚い玄武岩に覆われた台地状をなし、上松(かみまつ)岳などきわめて緩やかな起伏を呈する。島の南端明星ノ鼻(みょうじょうのはな)は夜間、たき火で針尾瀬戸の入口を示したといわれる。
[石井泰義]