福原新田村(読み)ふくはらしんでんむら

日本歴史地名大系 「福原新田村」の解説

福原新田村
ふくはらしんでんむら

[現在地名]会津坂下町福原

西を旧みや(鶴沼川)が北流し、北には越後街道が東西に通り、南西下金沢しもかなさわ新田村(下新田村)。元和九年(一六二三)福原嘉左衛門による開発というが(新編会津風土記)瓜生(のちに佐瀬と改称)嘉左衛門の指導により、宮川河川敷である福河原を開拓し、福原新田村と名付けたともいう。嘉左衛門は宮川の上流二キロに福原堰を築いて水田を開いたと伝え、現在もこの堰が重要灌漑路となっている。


福原新田村
ふくはらしんでんむら

[現在地名]小布施町福原

東・西・北は小布施村に囲まれ、南はまつ川で限る。小布施村町組で西へ分岐する谷筋道支道沿いの横町に接して、地割された屋敷地がある。

慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)には村名はみえず、初見は、寛永一五年(一六三八)九月幕府代官による信州高井郡福原村寅御検地帳(根岸一郎氏蔵)で、村高六二石余である。


福原新田村
ふくわらしんでんむら

[現在地名]立田村福原新田

木曾川に囲まれた孤島のような小村で、寛永一二年(一六三五)開墾。「徇行記」によれば、概高一〇九石余は一円蔵入地で、田は三町一反七畝余、畑は四町八反余。「寛文覚書」に戸数一四、人数七八とある。「徇行記」は「竹木茂リ村立大体ヨキ所ナリ、其内頭百姓三戸アリ、加藤太郎治・同太兵衛・同与兵衛ト云皆同家ナリ、新田高ハ此三家ヘ引得屋造リモヨシ、其余ハ皆無高百姓ナリ、耕田不足ナルカ故ニ立田輪中又ハ下福原ノ田畝ヲ承佃ストナリ、一体此新田ハ河中ノ地ナレハ昔ヨリ決壊ノ害多シ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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