日本歴史地名大系 「福地城跡」の解説 福地城跡ふくちじようあと 三重県:阿山郡伊賀町上柘植村福地城跡[現在地名]伊賀町柘植町霊(れい)山(七六五・八メートル)西北の麓、山出(やまで)集落の東へ張出した丘陵端に位置する。昭和三九年(一九六四)名阪国道建設の際、東南隅の土塁が一部削り取られた。西側に万寿(まんじゆ)寺があり、柘植(つげ)を一望できる。本丸のほかに館跡と推定できる所が五ヵ所あり、郭を区切るのに石列・石垣を用いている。同五六年東南隅の一部が道路整備のため発掘され、礎石の一部や石敷が見つかった。また擂鉢・土鍋・ホラ貝などが出土した。全体の規模は東西二二〇メートル、南北一七〇メートル。本丸表門には野面積みの石塁が残り、内部は五〇メートルに二八メートル、北端に井戸がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「福地城跡」の解説 福地城跡 (三重県伊賀市)「伊賀のたからもの100選」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by