日本歴史地名大系 「福岡堰」の解説
福岡堰
ふくおかぜき
谷和原村福岡と
江戸時代の小貝川東岸一帯は天領で、幕府によって低湿地帯の開発が行われ、関東郡代伊奈忠治が寛永二年(一六二五)に福岡の北方にある
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
谷和原村福岡と
江戸時代の小貝川東岸一帯は天領で、幕府によって低湿地帯の開発が行われ、関東郡代伊奈忠治が寛永二年(一六二五)に福岡の北方にある
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…常磐新線が工事中で,伊奈町との境の台地につくられる新駅周辺では,県により区画整理事業がすすめられている。福岡にある小貝川の福岡堰は中・下流の岡堰,豊田堰とともに関東の三大堰といわれ,桜の名所としても知られる。【千葉 立也】。…
※「福岡堰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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