福頼村(読み)ふくよりむら

日本歴史地名大系 「福頼村」の解説

福頼村
ふくよりむら

[現在地名]淀江町福頼

壺瓶つぼかめ(一一四メートル)の南麓に位置し東は富繁とみしげ村。西は平岡ひらおか村で、「伯耆志」の平岡村の項に「一小流を隔て人家相対する故に一村の如し」とある。村名は、戦国時代当地に居住した土豪福頼左衛門にちなむといわれ(宇田川村史)地内に左衛門の墓碑と伝える宝篋印塔がある。福頼氏は山名氏の被官で、伯州衆の一人に数えられ(大館常興書札抄)、「陰徳太平記」や「伯耆民諺記」などに名前が散見される。


福頼村
ふくよりむら

[現在地名]西伯町福頼

落合おちあい村の南東東長田ひがしながた川の支流馬佐良ばさら川と掛相かけあい川の合流点の下流に位置し、金山かなやま越に沿う。天保一四年(一八四三)の田畑地続全図(西伯町役場蔵)によれば、耕地は大半が東長田川の左岸に開かれている。古くは経乗院きようじよういん(京乗院)村といい、文化一二年(一八一五)福頼村と改め、天保五年改称の旨を幕府に届出た(在方諸事控)。元和四年(一六一八)検地帳(西伯町役場蔵)では法勝寺ほつしようじ内経乗院村とみえ、反別は一四町余、名請人数二一(うち他村居住四)。村内居住の名請人のうち二町九反余を所持する庄屋助五郎をはじめ、上層農民三名は牛馬などをもち、村の耕地全体の約六割を占有していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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