20世紀日本人名事典 「秋元洒汀」の解説 秋元 洒汀アキモト シャテイ 明治〜昭和期の俳人 生年明治2年1月20日(1869年) 没年昭和20(1945)年1月19日 出生地千葉・流山 本名秋元 平八 別名幼名=半之助,別号=濡鷺堂 学歴〔年〕東京専門学校卒 経歴醬油醸造業を営むかたわら、尾崎紅葉の門下生となり俳人として活躍し、明治34年「胡沙笛」を刊行。44年「平凡」を創刊し、ついで「ツボミ」に拠り、後に「卯杖」同人となる。また美術愛好家としても知られ、31年の日本美術院創立に際しては、それを全面的に応援した。その他の著書に「在五中将」「小野小町」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秋元洒汀」の解説 秋元洒汀 あきもと-しゃてい 1869-1945 明治-昭和時代前期の俳人。明治2年1月20日生まれ。醤油醸造業をいとなむ。尾崎紅葉の門人。秋声会にくわわり,「秋の声」,のち「卯杖(うづえ)」に発表。横山大観,菱田春草らを経済的に支援。春草の「落葉」は洒汀のためにえがかれた。昭和20年1月19日死去。77歳。下総(しもうさ)流山(千葉県)出身。東京専門学校(現早大)卒。本名は平八。別号に濡鷺堂(ぬれさぎどう)。句集に「胡沙笛」など。【格言など】秋風にやもめの蝶の吹かれけり(「胡沙笛」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by