百科事典マイペディア 「秋月荘」の意味・わかりやすい解説
秋月荘【あきづきのしょう】
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阿波国阿波郡(現徳島県阿波市,旧城町)の荘園。法金剛院(鳥羽天皇中宮待賢門院の御願寺)領の荘園。立券年次は不明。待賢門院から上西門院,宣陽門院をへて持明院統に伝領された。鎌倉後期には足利氏本宗のもつ荘園であったことが〈足利氏所領奉行番文〉から知られるが,おそらく足利氏は地頭としてこの荘園にかかわったのであろう。南北朝期に足利氏の一族の有力武将細川和氏が,この秋月に城をきずき足利氏の四国経営の拠点にするとともに,細川氏の阿波支配の根拠地とした。同じ南北朝の動乱の一時期,南朝側がこの荘の地頭に紀伊武田氏の一族愛洲(あいす)季俊やその子憲俊を補任しているが,実効のあるものではなく,1387年(元中4・嘉慶1)に細川頼之の弟頼有が嫡子にこの荘の3分の1を譲っているように,細川氏の所領としてひきつづき確保されていった。15世紀末の明応年間(1492-1501)を最後にこの荘園は姿を消す。
執筆者:丸山 幸彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…本田以外の出作が盛行するにともない,国司は検田使を入勘(入部)させて荘田の拡大を抑えようとしたから,検田使らの入勘は荘園領主と国司の紛争の原因となり,不入権が問題となるにいたった。992年(正暦3)筑前国筥崎(はこざき)宮塔院領秋月荘で〈公田不交〉ということで検田使の入勘が停止されたのはその早い例である。とくに11世紀中葉になると,臨時雑役(りんじぞうやく)が不輸租田にも課されるようになったため,その免除を求め荘園領主は四至(しし)を限った領域内全体の不輸不入化を目ざした。…
※「秋月荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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