秩父宮 雍仁
チチブノミヤ ヤスヒト
大正・昭和期の皇族,陸軍軍人 大正天皇第二皇男子。
- 生年
- 明治35(1902)年6月25日
- 没年
- 昭和28(1953)年1月4日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 陸士(第34期)〔大正11年〕卒,陸大卒
- 経歴
- 御幼少時の称号淳宮(あつのみや)。大正11年秩父宮家を創立。14年オックスフォード大学にご留学。昭和3年9月28日松平恒雄長女・勢津子さまとご結婚。陸大ご卒業後、中隊長、大隊長、参謀本部付・南支派遣軍参謀などをつとめられた。12年天皇名代として、英国王ジョージ6世の戴冠式にご参列。15年大佐・参謀本部付の時、肺結核を発病、以後療養生活に入られる。またスポーツの宮様として親しまれ、日本陸上競技連盟、日本ラグビー協会などの総裁もつとめられた。著書に「御殿場清話」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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秩父宮雍仁
ちちぶのみややすひと
(1902―1953)
皇族。大正天皇第二皇子。淳宮(あつのみや)と称したが、1922年(大正11)秩父宮の号を受ける。陸軍士官学校卒業。25年渡欧、オックスフォード大学留学。28年(昭和3)松平恒雄(つねお)の長女勢津子(せつこ)と結婚。陸軍大学校卒業後、中隊長、大隊長、南支派遣軍参謀などを務め、皇道派系の青年将校に人気があった。そのため二・二六事件のときはその動向が注目された。37年イギリス国王ジョージ6世の戴冠(たいかん)式に天皇名代として参列。登山、スポーツの愛好家として知られていたが、40年肺結核となり療養生活に入ったが、ついに回復しなかった。45年少将。
[小田部雄次]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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秩父宮雍仁【ちちぶのみややすひと】
大正天皇第2皇子。幼称淳宮(あつのみや)。1922年宮家を創立。オックスフォード大学に留学,1928年松平勢津子と結婚。スポーツ愛好家として知られた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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