稽古館跡・弘道館跡(読み)けいこかんあと・こうどうかんあと

日本歴史地名大系 「稽古館跡・弘道館跡」の解説

稽古館跡・弘道館跡
けいこかんあと・こうどうかんあと

[現在地名]彦根市金亀

彦根藩の学館。中堀に囲まれた内曲輪うちくるわの北西端にあり、寛政一一年(一七九九)に稽古館として創立、天保元年(一八三〇)弘道館と改称した。一一代藩主井伊直中は家臣中村千次郎が遺書藩校設立を願ったのをいれ、中国・九州を僧海量に視察させるなど積極的に推進、寛政九年起工、同一〇年上棟式、同一一年設立の主旨を伝え、名称を稽古館とした。家中知行取の家督・部屋住の一五歳から三〇歳までの者は毎日出校すること、朝五つ半から四つ半までは文事、九つ時から八つ半までは武芸などを取決め、職制には頭取・稽古奉行・物主兼書物奉行・学問方・素読方・手跡方・軍学・和学(国学)・礼節・天文学・算術・医学会頭・武芸師範・馬術などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報