穴多駅
あのうのえき
古代北陸道の駅。平安時代には都から出た北陸道の最初の駅であった。「延喜式」兵部省に大宝令の小路の駅の規定どおり五疋の駅馬を備える駅として登載。「和名抄」高山寺本の駅名には「穴太」と記し、現穴太地区が遺称地。比叡山地から流下する四ッ谷川の扇状地が段丘化した琵琶湖面からの比高一五メートル余の高燥な平坦地にある穴太集落付近を南南西から北北東に計画直線古道が通り、駅はそれに沿って所在したと考えられる。景行・成務・仲哀三代の天皇が営んだと伝える高穴穂宮の遺称地でもあり、穴太廃寺をはじめ古代遺跡も多いが、駅に直結する遺構はまだ出土していない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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