穴田郷(読み)あなだごう

日本歴史地名大系 「穴田郷」の解説

穴田郷
あなだごう

和名抄」下道郡穴田郷の郷名を継ぐものか。現高梁市西端の島木しまき川流域に明治一四年(一八八一)丸山まるやま村と塩田しおた村が合併して穴田村が成立、同村を遺称地として現在の宇治うじ本郷ほんごう宇治町穴田・宇治町宇治一帯に推定される。赤木家先祖覚書(赤木文書)によると、赤木氏は承久三年(一二二一)穴田郷と近郷を賜り、信濃より移って中野なかの滝谷たきだに城に居住、のち同村土井どい屋敷に子孫代々居住したという。また郷中宇治村の寺院奇瑞によって中野村に大氏おおうじ八幡宮、宇治村に池原いけはら八幡宮を建立したとする。

穴田郷
あなだごう

「和名抄」諸本に「安奈多」の訓がある。郷域については二つの説がある。一つは「大日本地名辞書」や「岡山県通史」の説で、現川上かわかみ郡川上町高山市こうやまいち・同郡備中町平川ひらかわ・同町布賀の成羽ふかのなりわ川南岸地帯とするものである。この説では下道郡の式内社穴門山あなとやま神社を川上町高山市にある同名の神社とし、これを重視する。下道郡内には現吉備郡真備まび妹の高せのこう山山頂近くに同名の神社があり、明治八年(一八七五)には一ヵ月間だけではあるが式内社に指定されたこともある。だが式内社としては高山市の穴門山神社のほうが可能性に富む。同社本殿の脇に鍾乳洞があって社名起源を示し、中世には神宮寺が設けられたりしているからである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報