日本歴史地名大系 「下道郡」の解説
下道郡
かどうぐん
- 岡山県:備中国
- 下道郡
「和名抄」東急本(国郡部)・刊本は「之毛豆美知」と訓ずる。近代の訓は「カドウ」(内務省地理局編纂「地名索引」)。古代の郡域は
当郡の中心地域は新本川・小田川の流域である。同地域には弥生後期の墳丘墓である
〔古代〕
郡域内に本拠をもったと推定される豪族は吉備一族の下道氏と苑(薗)氏である。「古事記」孝霊天皇段に、孝霊天皇の皇子の若日子建吉備津日子命の子孫として吉備下道臣をあげており、「日本書紀」応神天皇二二年九月一〇日条には、御友別の長子の稲速別が下道臣の始祖で川嶋県を、御友別の兄の浦凝別が苑臣の始祖で苑県を、それぞれ応神天皇から封じられたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報