吉備の中山の西麓にある。吉備国の総鎮守。備中国の一宮。祭神は大吉備津彦命(「日本書紀」では吉備津彦命)を主神とし、異母弟の若日子建吉備津日子命とその子の吉備武彦命ら一族の神々を合祀する。「日本書紀」崇神天皇一〇年九月九日条によると、吉備津彦命(五十狭芹彦命)は四道将軍の一人として
社殿の創建時期は不明。社伝によると、大吉備津彦命の五代の孫加夜臣奈留美命が吉備の中山の麓に大吉備津彦命が建立した「
おもな社殿のほとんどは、数百メートルに及ぶ大回廊で連絡されているが、中心は主神を祀る正宮(本殿・本社ともいう)である。現在の社殿は檜皮葺一二一坪、平面積では日本第一の広さをもつ。
当社は備後国一宮で、近世までは吉備津彦大明神・一宮大明神・吉備津宮・吉備津彦神社などと称した(備陽六郡志、福山志料)。明治以後吉備津神社と公称。地元では「いっきゅう(一宮)さん」とよぶ。現祭神は孝霊天皇・大吉備津彦命・細比売命・稚武吉備津彦命。「備陽六郡志」は「祭る所の御神 孝霊天皇、吉備津彦命なり、尤吉備津彦の命の御衣を以て御神躰とす、本社の左右に礎有、往古は北、孝霊天皇、南、吉備津彦命と両社なりけるか、慶安元子年、宗休公一社に御建立有、内陣に艮巽の四神、各束帯にて安之」と記す。旧国幣小社。神願寺として
「福山志料」は「今按ニハシメ吉備ノ中山ニノミ鎮座アリシヲ三国ニ分レシ時各国ニワカチ祭リシ由伝レトモ、延喜式ニ備中ノミ見エテ前後二国ハノセス、国中最大の社ニテ其数ニ洩レシヲ見レハ延喜以後ニワカレ玉ヒシナルヘシ」としている。また同書は「国花万葉志ニ備後吉備津宮府中ニ立、備中吉備津宮御同体ト云、今按ニ、ハシメ芦田郡ニアリ、後コ々ニウツスト云」と鎮座地の移動をいい、かつての所在地を芦田郡
確実な史料に備後吉備津宮が登場するのは平安後期で、永万元年(一一六五)六月日付の神祇官年貢進納諸社注文写(宮内庁書陵部蔵永万文書)に、
とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岡山市北区吉備津,歌枕で名高い吉備の中山のふもとに鎮座する。備中国の一宮,また吉備国の総鎮守ともいう。備前一宮の吉備津彦神社と備後一宮の吉備津神社は,ともに当社からの分社と伝える。崇神天皇のときの四道将軍の一人として吉備に派遣されたという大吉備津彦命とその一族をまつり,古代吉備氏の氏神として栄えた。平安時代には官社に列し,一品(いつぽん)の神階を授かり,朝廷の保護と崇敬を受け,中世には武神として備作地方の武士の崇信をひろく集めた。近世の社領は朱印高160石,近代には官幣中社に列した。
現国宝の本殿と拝殿は1425年(応永32)に完成した。その独特の建築様式から吉備津造と呼ばれ,中世神社建築の代表作である。本殿の内部は四周に幅1間の外陣,奥に中陣・内陣・内々陣と続き,中心に進むにつれて床も天井も高くなる。本殿は建坪255m2の大建築で,その檜皮(ひわだ)ぶきの大屋根は入母屋破風を二つ前後に連結するという,他にまったく例を見ないいわゆる比翼の入母屋造となっており,吉備津造の特色とされている。境内は広く,おもな社殿は全長数百mに及ぶ壮大な回廊で連絡され,美しい景趣を醸し出している。
回廊の中ほどにある御釜殿は1612年(慶長17)の再建。古代豪族屋敷の台所の様式をよく残しているとされる。内部は南北2室,南室は祈禱者の座,北室には2口一連の竈(かまど)を築き,その前が神官の座。竈の下には大吉備津彦命が退治した鬼の首が埋めてあると伝える。ここでは阿曾女(あそめ)と呼ばれる老女が祝詞に合わせて釜をたき,釜の鳴動によって吉凶を占う神事が現在も依頼に応じて随時行われている。これがいわゆる吉備津宮の釜鳴神事で,平安時代からこの霊験が都にも喧伝された。また釜鳴の怪異伝説は謡曲《吉備津宮》や上田秋成《雨月物語》などの素材にもなっている。
当社と桃太郎伝説との結びつきも古い。いま岡山の名菓である吉備団子は,江戸初期に〈餅雪や日本一の吉備だんご〉とよまれて,当時すでに門前の名物となっていた。大吉備津彦命の鬼退治の神話が,室町期に成立したといわれる桃太郎伝説と結びついて,このころ庶民の信仰を集めていたことがわかる。
門前町の宮内(みやうち)は,現在はその面影はないが,江戸時代には山陽道屈指の遊所として栄えた。《好色一代男》(巻二,はにふの寝道具)にもその名がみえ,また宮内の遊女の恋物語が浮世草子《分里艶行脚(わけざとやさあんぎや)》中の一編〈備中に吉備津手管(てくだ)の小忌衣(おみごろも)〉に見える。宮内では江戸や上方の歌舞伎,能,人形芝居,相撲,軽業などが江戸時代を通じてたびたび興行された。
当社には古代から賀陽(かや),藤井,堀家,河本など多くの社家があり,近世には70余軒に及んだ。日本に臨済禅を伝えた栄西は賀陽一族の出身,また国学者の藤井高尚も社家頭をつとめた。伝蔵の古文書は鎌倉時代から数千点を数える。現在,5月と10月の第2日曜日に大祭が行われる。秋の大祭には〈七十五膳すえ〉という,75個の神膳を捧げる珍しい神事があってにぎわう。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岡山市北区吉備津に鎮座。祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を主神とし、その異母弟の若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)、その子吉備武彦命など、一族の神々を相殿(あいどの)として祀(まつ)っている。吉備国総鎮護の神社として創建されたもので、『延喜式(えんぎしき)』神名帳に名神(みょうじん)大社として登載され、940年(天慶3)には神位一品(いっぽん)を授けられたと記録されている。備中(びっちゅう)国一宮(いちのみや)、また吉備国総鎮守として崇敬された。旧官幣中社。現在の本殿は棟札によって1425年(応永32)の再建ということが判明しており、正面7間、側面8間の神社建築としては最大規模のものである。その建築は吉備津造とよばれ、比翼入母屋(ひよくいりもや)造の特異な構造をもち、拝殿とともに国宝に指定されている。境内の南北に構える随神門(ずいしんもん)は国の重要文化財。また、本殿から本宮に至る400メートル余の回廊は、傾斜する自然の地形にあわせて構築されており、その間にある御釜殿(おかまでん)で行われる釜鳴(かまなり)神事は有名。この神事は湯釜を用い、その鳴動の大小長短により吉凶禍福を卜(ぼく)するもので、『本朝神社考』『雨月物語』などにも紹介されている。社宝には、各社殿棟札、境内古図のほか、鬼面、古面(11面)、高麗版一切経(こうらいばんいっさいきょう)、狛犬(こまいぬ)などがあり、県指定重要文化財となっている。例祭日は5月および10月の第2日曜日。当日には七十五膳据の神事が行われている。
[吉井貞俊]
『藤井駿著『吉備津神社』(1973・日本文教出版)』
広島県福山市新市(しんいち)町宮内に鎮座。祭神は大吉備津彦命(みこと)。吉備国を備前(びぜん)、備中(びっちゅう)、備後(びんご)に三分した際、備後国の宗祀(そうし)として勧請(かんじょう)されたもので、備後国一宮(いちのみや)とされ、平安時代には国司の崇敬を受け、1014年(長和3)四方利益(りやく)のため社頭にて法華講(ほっけこう)を営んだ記録がある。文明(ぶんめい)年間(1469~87)には僧持範(じはん)によって三重塔が建立された。旧国幣小社。現社殿(国の重要文化財)は1648年(慶安1)の建立。宝物として国の重要文化財の狛犬(こまいぬ)、毛抜形太刀(たち)がある。11月下旬に例祭が行われる。
[吉井貞俊]
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一品(いっぽん)吉備津宮とも。「延喜式」では吉備津彦神社。岡山市北区吉備津に鎮座。式内社・吉備国総鎮守・備中国一宮。旧官幣中社。祭神は孝霊天皇の皇子大吉備津彦命。852年(仁寿2)官社に列し四品が授けられ,940年(天慶3)には一品。中世,神祇官を本所に仁和寺を領家とし,室町時代には備中守護を社務職に守護代を社務代職に補任して社領は守護請になった。近世,160石の朱印地のみに削減されたが,これをめぐる社家・社僧間の相論で敗訴した社僧は当社から撤退した。例祭は5月と10月の第2日曜日。本殿・拝殿は国宝,南北随身門は重文。温羅(うら)退治神話にかかわる鳴釜神事が知られる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…日本では,1年間についたうそを節分,小正月,10月20日,12月8日など特定の日に儀礼的に払ったり駆逐してしまう形の民俗がよく見られる。広島県芦品郡新市町の吉備津神社では節分の夜ごもりに〈放談会〉〈うそばらし〉といってうそつき大会が催され,話じょうずが自慢のうそ話を出しあうという。羽州街道の宿場町であった山形県上山市楢下でも,かつて正月15日夜に福聚寺(現在は廃寺)でほら吹き大会が行われたという。…
…また国府の北方の山塊に営まれた巨大な朝鮮式山城である鬼ノ城(きのじよう)(総社市奥坂)は,おそらく白村江の敗戦後に造営された山城の一つであろう。式内社としてはとくに吉備津神社が有名である。【吉田 晶】
【中世】
平氏が瀬戸内海の海賊的土豪を勢力下に収めて台頭したころ,備中の土豪の多くが平氏の忠実な家人となったのは備前と同様で,とくに《平家物語》にみえる瀬尾兼康(せのおかねやす)は,備中国都宇郡妹尾郷(現,岡山市妹尾)を本拠とした武士で,備前の難波二郎経遠・三郎経房兄弟らとともに平氏の有力な家人であった。…
※「吉備津神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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