日本歴史地名大系 「窪野村」の解説
窪野村
くぼのむら
「宇和旧記」所収の文明一四年(一四八二)の三滝蔵王大権現堂建立棟札に「日本国伊予州宇和庄須智郷北川村」とあり、中世末には
太閤検地の石高は三九五石五斗八升、耕地面積の比率は田が四〇パーセント、畑が六〇パーセントであったが、寛文検地では石高は約二・二倍に増加し、田畑の比率は田一八パーセント、畑八二パーセントと変化し、江戸初期に山畑の開発が著しかった。
窪野村
くぼのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報